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漁船徴用の痕跡 「弟は軍にだまされ、戦死した」92歳、抱え続けた怒り

社会 | 神奈川新聞 | 2014年8月30日(土) 18:40

県水産技術センター入り口脇に立っている「相模丸顕彰之碑」。1952年に関係者が建立した=三浦市
県水産技術センター入り口脇に立っている「相模丸顕彰之碑」。1952年に関係者が建立した=三浦市

「ひと目見て70年以上前、弟の弘が乗った相模丸と分かった」。三浦市の川名多喜子さん(92)は、しっかりと記者の目を見据えて語った。神奈川新聞で今月、戦時中の旧日本軍による漁師・漁船の徴用について連載をした。記事に添えられた船の写真を見て連絡をくれたのが、川名さんだった。徴用の末、米軍に撃沈され乗組員が全滅した相模丸。忘れることのできない船だったという。「海軍は『任務は敵を監視するだけ。戦争ではない』と言った。弟はだまされ、戦死した」。戦後69年間、抱え続けてきた怒りがほとばしった。

■「学生」のまま 一家は、父母と弟2人の5人で三崎に暮らしていた。川名さんは、県水産講習所(現県立海洋科学高校)に通っていた3歳違いの弘さんを「未来の船長」と呼び、かわいがっていた。

弘さんは1940(昭和15)年、15歳で講習生として相模丸に乗り込んだ。同船(135トン)は、県水産試験場(現県水産技術センター)の漁場調査船。カツオ、マグロの漁場開拓が目的で、地元の漁師のほか、数人の講習生が乗り込み、漁業の実習を受けていた。

当時は日中戦争のさなかだったが海には影響はなく、弘さんは同船で南洋まで航海した。だが翌年、太平洋戦争が始まると、戦況は悪化の一途をたどっていった。軍は民間の漁船などを徴用したが次々に撃沈され、船を補充しなければならない状況に追い込まれていた。相模丸は42(同17)年1月、横須賀鎮守府配下の警備隊に徴用された。

任務は、米軍の戦闘機、艦船の監視。海軍は、未成年である弘さんに、そのまま船に乗り続けるよう求めた。家族には「遠くから監視するだけ」と説明したため、川名さんらはそれほど心配をしていなかった。弘さんは、学生の身分のまま徴用された。

弘さんは数回、帰港した。久しぶりに会う弟に仕事の内容を問うと「軍機だから」と詳しくは話してくれなかった。「大丈夫かい」と聞くと、「何でもないよ。おっかなくないよ」。だが、明るかった弟の口数は、減っていた。

■写真一枚だけ 弟の身を案じた川名さんは、本人と船の写真を手元に置こうと考えた。「毎日無事を祈りたかったの」。県の船だったので、父親に頼んで、県庁に写真をくれるよう頼んだ。

だが、徴用は軍の秘密作戦だった。県庁からは「とんでもない」との返事が届いた。警察からは「秘密作戦を漏らす可能性あり」とにらまれたのか、刑事が自宅を訪ねてきた。

43(同18)年6月18日、相模丸は米軍から攻撃されて撃沈した。弘さんは19歳の若さで、20人の乗組員とともに命を落とした。

川名さんは当時、家族と離れ東京都内で過ごしていたが同月下旬、末の弟で漁師の貢さんが会いに来た。「にいちゃんの船からの無線が切れて、行方不明なんだ。かあちゃんが泣き通しで大変だから、ねえちゃん家に帰ってよ」。急いで実家に戻った。

三崎では、漁船の無線が切れるということは遭難を意味した。「弟は戦死したのだろう」と覚悟を決めた。

■泣いてばかり 戦死公報は、その年のうちに届いた。弘さんは「名誉の戦死」として周囲の人々から祭り上げられ、家族全員、誇らしい態度を取っていた。だが家に帰れば泣いてばかりだった。「当時は、戦死について涙は見せていけないものだったから。口先だけで勇ましいことを言っていました」

横須賀鎮守府から遺骨を取りに来るよう連絡があった。だが、海の底に沈んだ遺骨が返ってくるはずもなく、骨つぼ代わりの白木の箱は空だった。鎮守府に詰めていた記者から弟の写真をもらい、遺骨の代わりに入れた。軽くて空っぽの箱を抱いて帰るのは、とても切なかった。

戦争が終わったのは、弟が死んだ2年後だった。相模丸の沈没した記録や徴用の契約はしっかり残っており、戦後補償を受けることはできた。だが悔しさは、消したくても消すことができなかった。

弘さんの夢は、船長になることだった。だが、不条理にも断ち切られてしまった。絶対に生きていてほしかった。

川名さんは、運動機能の衰えで現在、介護施設に入所している。新聞に掲載された相模丸の写真に、これまでの思いが噴き出したという。戦後知ったことだが、弘さんの徴用時、神奈川の海には敵潜水艦が多数出没し、切迫していた。川名さんは語る。「海軍はよくこんな状況で『大丈夫』と言えたものです。無念の思いを抱いて戦死した弟。軍にだまされ、戦争にいや応なしに参加させられるような世の中は、もうたくさんです」

【神奈川新聞】


徴用から1年半たらずで撃沈された相模丸(県水産技術センター提供)
徴用から1年半たらずで撃沈された相模丸(県水産技術センター提供)

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