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元内閣法制局長官・阪田雅裕さん 
時代の正体〈14〉語る男たち(2)法の番人、本物の強さ

社会 | 神奈川新聞 | 2014年8月13日(水) 12:48

閣議決定後の講演で法秩序の大切さを説く阪田雅裕さん=7月14日、横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ
閣議決定後の講演で法秩序の大切さを説く阪田雅裕さん=7月14日、横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ

 「適当に『ほいほい』とやっておけばいいのですが。いいかげんに済ませられないんですね」
 目元を緩ませ、物腰は穏やかで紳士的。自他共に認める生真面目さを「損な性格」と苦笑する。

 講演に立つ。主催者から後日届く発言要旨のゲラ刷りが気になる。寝る間を惜しみ、正しい文章に直さずにはいられない。

 「法制局では文章をずっと見てきた。日本語がきちんとしているか、主語は、述語は、と言葉の一つ一つが気になるんです」

 東大法学部在学中に司法試験をパスし、卒業後に大蔵省入り。40年間の国家公務員生活で、法案と憲法の整合性をチェックし、内閣や首相に具申する内閣法制局に19年勤務した。うち2年間で長官を務めた。

 法制局は「気持ちのいい部署」だった。「普通の行政庁では政策の是非が問題になり、上司の趣味趣向で判断される」。役所が是としても、国民受けの悪い政策なら政治家は首を縦に振ろうとしない。「次の選挙で自分が当選できるか、政権が維持できるかを大事にする人たちを説得し、それでもしばしばねじ伏せられてしまう」

 「法の番人」と称される法制局は違った。「政治家は法律論に弱いところがあって、『よう分からんけど、法制局が言うならしょうがない』と。『論理として無理』ということは、お分かりいただきやすかった」

 人間関係や根回しとは無縁、論理が勝負の世界は性に合っていた。

法治国家を説く


 2006年に法制局長官を退官。昨夏、全国紙のインタビューで憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に異を唱えた。かつての法の番人としての矜持(きょうじ)。以来、講演依頼が増え、全国を飛び回るようになった。

 憲法9条の特殊性や自衛隊を合憲とする政府解釈、集団的自衛権とは何かを正確に説明してきた。

 口調が熱を帯びるのは、法治国家のあるべき姿を訴えるときだ。

 「集団的自衛権の行使が必要なら、手続きを踏み、憲法の改正を国民投票で問えばいい。その必要性を国民に訴える労を政治が惜しんではいけない」「法律は時代に合わせ改正されている。憲法だけが時代遅れになったと解釈を変えられるなら、法治国家と呼べない」

 歯切れの良さはしかし、7月1日を境に鈍った。

 「閣議決定は、国民の生命や財産を守るために必要最小限度の範囲内でしか集団的自衛権を使わないと、従来の政府の論理を維持している。『今までの政府の解釈は間違っていて、9条の下でも集団的自衛権の行使はできる』という解釈の変更はおかしいと、私を含め批判してきた。今回の閣議決定は建前としてそれとは違う理屈になっており、非常に話しづらい」

 これまでの政府の立場は守りながら、憲法で禁じられてきた集団的自衛権行使に道を開く。その分かりにくさ。

 だが、閣議決定は取り消されない。振り向いてばかりもいられない。「閣議決定で言う『国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合』とは一体どんな事態なのか。その当てはめが問題になる」。書かれた日本語通りに読めば、専守防衛を逸脱するとして集団的自衛権の行使を認めてこなかったこれまでと同様、外国から攻められたケース以外に考えられないとみる。

 「つまり、厳格に運用されれば発動の場面はほとんどない。言葉通りに運用される担保を取っていくことが大事だ」

 思いは後輩たちの立場にも向く。「行使容認に首相があそこまで執念を燃やしていた以上、『何もできません』というのは政府の一部局である法制局としてあり得ない。どんな知恵が出せるか、ぎりぎりまで考えた結果だと思う。批判はあろうが、論理は評価できる。よく頑張ったと言いたい」

使命受け入れ


 今も法制局の仕事に誇りを持ち、後進を見守る。そのまなざしは、霞ケ関の外の世界を知っているからなのかもしれない。

 次男には先天的に障害があった。目が見えず、耳が聞こえず、立つこともできない。

 次男が生まれた直後の1970年代後半、在ロサンゼルス日本総領事館領事に着任。現地の盲ろう児教育施設に毎日通った。

 集まってくる親たちの言葉にハッとした。

 自分と子どもを誇りに思う。神が自分を選んで与えてくれた-。

 障害のある子を育てていくことを使命として受け止めていた。

 「感銘を受けました。他の仕事は誰でもできる。でもこの子を育てるのは自分たちにしかできない。人生の大きな目標だねと、家内と話しました」

 帰国後、米国で紹介された通信教育を受講し、ボディーランゲージのような手段で言語という存在を教えることから始めた。

 悪戦苦闘を続けるなか、当時大学生だった東大教授の福島智さんと知り合う。盲ろうでありながら勉強に励むのを、多くのボランティアが支えていた。

 「勇気を与えられた。だが、彼を取り巻く環境は制度として保障されているわけじゃなかった」

 同じような境遇の人は他にもいるはずなのに、日本には支える仕組みがない。公務員の仕事の傍ら、福島さんらと社会福祉法人全国盲ろう者協会の立ち上げに奔走した。退職後、理事長を務める。

 協会には毎年、視覚や聴覚を失い、「死を考えた」という人がやってくる。「見えない、聞こえないというのは孤独にならざるを得ないんです。国の調査では2万人いるとも言われている。でも協会に登録しているのは千人くらい。ほとんど埋もれちゃっている」

誇るべき業績


 障害を一人で悩んでほしくないと、掘り起こしに力を尽くしてきた。それでも、届かない、つながりきれない。

 「だからね、集団的自衛権の問題をみなさんに伝え、一人一人に自分のこととして考えてもらうなんて大変なことだとよく分かるんですけど」

 心は折れない。「何があっても楽な気持ち。子どもを育てるのが私の第一義の仕事なのだから。言い方はよくないかもしれないが、『ついでにやってる』という感覚。もちろん手を抜いているわけではないが、そういう気持ちでやってこれたことは、子どもに感謝しています」

 次男がいなければ出会えなかった人々、世界があった。妻とともに子育てをし、家族と生きてきた。子どもに障害があることを隠す家族ではなかった。「それは誇るべき業績だと思っています」

 講演巡りは続く。国家権力の中枢にいた身として「政権に盾突くのは大変なことだ」と知る。

 「でも、公私を通じて堂々と生きてきたという自負があります。後ろ指をさされるようなことは何もしていない、と」

 本物の優しさと、強さがある。

 
 

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