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震災4年目福島の子ら川崎で「移動教室」 互いの故郷 見つめ直し

社会 | 神奈川新聞 | 2014年8月1日(金) 11:00

福島第1原発から伊達市までの距離
福島第1原発から伊達市までの距離

福島県伊達市の小学5年生が7月、4日間の日程で神奈川を訪れ、川崎市内の小学校で同じ年齢の子どもたちと交流した。学校外でのびのびと学ぶ「移動教室」として、両市教育委員会が合意し初めて開催された。生まれ育ったまちの名産や自慢、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故のこと…。互いの故郷と立場を知り、子どもたちは自分を見つめ直した。

「ホ・ッ・ト・ケ・ー・キ…。6文字だから6人だ」

数人ずつ手をつないだり肩を組んだり。約220人が、体育館を所狭しと走り回る。

「保原小の子あと3人!」「一緒のグループになろう」

1時間ほど前に初めて会ったばかりの子どもたち。グループづくりのゲームで少しずつ打ち解けていく。あだ名や趣味を教え合い、次第に笑顔が増えた。

7月中旬、川崎市立梶ケ谷小学校(高津区梶ケ谷)。3泊4日で川崎や横浜を訪れている福島県伊達市立保原小の5年生約130人と、梶ケ谷小の5年生約90人との交流会が開かれた。ゲームのほかにも、梶ケ谷小は地域に根付く伝統芸能や川崎にちなんだ歌を披露。保原小の子どもたちも名産のモモや工芸、観光業などを紹介し、震災と原発事故後の生活についても説明した。

「震災で校舎が使えなくなり、別の小中学校の教室を借りて授業しました」「夏は長袖・長ズボンにマスクを着けました。プールも校庭での運動会もできませんでした」「今は新しい校舎で元気に生活しています」

伊達市教委は原発事故後の2012年度から、子どもたちに安心して屋外活動をさせようと、市立小学校の主に高学年を対象に移動教室を実施している。これまで市内の全21校が新潟や山形などで受け入れ先を確保し、地元の小学生と交流する時間を設けてきた。

保原小のように100人を超すような大規模校は宿泊先や交流する学校を探すのに難航していたが、つながりのあったNPO法人や市民団体が伊達、川崎の両市教委を仲介。川崎市教委は「復興教育の力になれれば」と受け入れを快諾した。伊達市教委は、本年度から福島県外での学校単位の体験・交流事業に充てられるようになった国からの補助が「宿泊や食事代がかさむ大規模校にとって後押しになった」と喜ぶ。

「他県の子どもとの交流がとても大事。外に出て初めて、地元の良さを見つめ直すことができる」

保原小の佐藤義仁校長はこう話す。移動教室から戻った子どもたちは充実した表情だったといい、「川崎の人々に、福島の子どもの元気な姿を見てもらえたこともすごくよかった」と実り多い時間を喜んだ。

住むまちや境遇の違いを感じる一方で、子どもたちは共感し合える部分も見つけた。

保原小の女児(10)は「友達はできないと思っていた」と打ち明けた。「梶ケ谷小は都会で、私たちは田舎の子だから。だけど話をしてみたら考えていることが似ていて、全然心配することなかった」。笑顔がはじけ、友達の輪の中に走っていった。

◆保養プログラム 短期間でも放射線量の低い場所で過ごすことで、体内に取り込んだ放射性物質が排出される効果があるとされる。外遊びを制限させている親にとっては、線量を気にせずのびのび遊べる環境に子どもを招くことは、不安な日常から解放され、心のリフレッシュにもつながる。

■「教育の場 守りたい」市民の会高橋代表

「子どもってすぐに友達になるでしょ。最初は気恥ずかしそうでも、だんだんと目が合うようになってきて、もう打ち解けてる」

「『福島の子どもたちとともに』川崎市民の会」代表の高橋真知子さん(66)は保原小と梶ケ谷小の交流を見守り、目を細めた。

震災から4年目の夏。同会はこれまでに12回、「サマースクール」や「リフレッシュ」と銘打ち、福島の子どもを招く保養プログラムを実施してきた。高橋さんは今回の移動教室実現を川崎市に働き掛けた一人でもある。

「一番大切なことは子どもたちが健康に育ち、教育を受ける場を守ること」

40年間教師を務め、自身の息子を病気で亡くした経験が、その信念を強くした。子どもの命を守る活動に身を投じるのは自然の成り行きだった。

プログラムの参加者は1回あたり30~60人ほど。知らない子同士が集まるよりも、友達や親しい先生と一緒に過ごす方が子どもにとってストレスは少ないと感じる。だから「学校や団体での取り組みが大切」と行政に訴えてきた。今回、市教委間の合意によって実現したことを何よりも喜ぶ。

重ね合わせるのは昭和40~50年代の「グリーンスクール」。大気汚染がひどく、青空が見えなかった川崎から三浦へ出向いて授業をした。「公害と原発事故は違うかもしれないけど、福島の子どもたちを放っておけなかった。過去につらい思いをした川崎にとっても人ごとじゃないでしょう」

放射能汚染による健康被害を気にせず、のびのびと勉強や体験ができる環境を子どもたちに提供する保養プログラム。原発事故の直後から各地で受け入れが広がっているが、「3、4日福島を離れたくらいで健康状態に変わりはない」といった声は当初からあった。

また、年月の経過とともに風評被害への懸念などが高まり、「保養」という表現を避ける傾向も出てきた。受け入れ団体側では、運営資金をまかなう寄付やボランティアが、震災直後に比べ激減している。

だが、福島の一部では今も除染作業が続き、低線量被ばくが及ぼす体への影響を心配する親たちが多くいるのも事実。高橋さんは、友達と一緒に他県で数日を過ごすだけで教育的な意義があると確信し、国や市町村レベルでの事業の広がりに期待している。

「福島の子どもたちは、負の遺産を背負ってしまった。彼らが希望を持って生きられるよう、最高の教育を与えなくちゃいけない」

【神奈川新聞】


交流会で子どもたちの輪に加わる高橋真知子さん=川崎市立梶ケ谷小学校
交流会で子どもたちの輪に加わる高橋真知子さん=川崎市立梶ケ谷小学校

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