1. ホーム
  2. ニュース
  3. 社会
  4. 時代の正体〈1〉具体性欠け 批判相次ぐ

時代の正体〈1〉具体性欠け 批判相次ぐ

社会 | 神奈川新聞 | 2014年7月15日(火) 11:00

衆院予算委の集団的自衛権に関する集中審議で、自民党の高村副総裁(左下)の質問に答弁する安倍首相=14日午前
衆院予算委の集団的自衛権に関する集中審議で、自民党の高村副総裁(左下)の質問に答弁する安倍首相=14日午前

安倍内閣が集団的自衛権行使を可能にする閣議決定に踏み切ってから、初の国会論戦に臨んだ。具体的な判断基準や想定される事例に質問が相次ぎ、安倍晋三首相が説明した。識者からは具体性が乏しく、裁量の余地が大きいことに批判が相次いだ。

「日米同盟は死活的に重要。日米同盟の関係で起こりうる事態は、新3要件に当てはまる可能性が高い。自動的に当てはまるわけではない。政府が新3要件に照らして判断し、国会の承認も必要」

軍事ジャーナリスト・前田哲男さん


 日米同盟の強化が閣議決定の核心部分であり、本音。それが論戦のなかで出てきた。問われれば、こう答えるのが当然だろう。つまり、米国の戦争に日本が常に追従することにつながりかねないということだ。
 「日米同盟の危機だ」と言えば、どんなことでもできてしまう。日米同盟の危機と政府が決定すれば、米国の戦争イコール日本の戦争になりかねない。
 想定されるのは、米国が国外で武力行使、戦争を開始し、日本に派兵を要請するケース。米国が機雷除去のために、紛争停戦前に自衛隊の掃海艇派遣を要請するのが、可能性として考えられる。自衛隊には高い技術があり、米国をはるかに上回る数の掃海艇を持っているためだ。
 これまでの憲法解釈では海外への派兵は一律にできなかった。「日米同盟の危機」と受け止めることによってそれが可能になれば、政府は同盟の危機を基準に派兵を検討することになるだろう。そうなれば米国の要請を拒否することも、同盟の危機になると判断しかねない。
 政府は「新3要件に照らして判断するため、それが歯止めになる」としている。だが、新3要件は「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」(第1要件)とされ、判断基準が非常にあいまいで、抽象的。客観的な目安はなく、そのときの政権や政治家の判断によってどうにでも解釈できる。歯止めにはならない。

「自衛隊の最高指揮官である私が、自衛隊員の安全に最終的な責任を負っていることは言うまでもない。自衛隊員は(服務に関し)『事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託に応える』と宣誓する。大変重い宣誓だ。個別的自衛権でも(同様に)自衛隊の諸君は国民の命、国土を守るため命を懸けて危険に身をさらす」

元陸自レンジャー・井筒高雄さん


 個別的であれ、集団的であれ、やることは戦争。
 犠牲者を出さない戦争はない。「戦争には参加しない」などと言うのは机上の空論で、現場の自衛隊員の感覚と大きなずれがある。政治家のいいかげんな判断で武器を持たされて派遣されてはたまらない。
 政治家は戦地に行くことはないから、国会で自衛隊員の身になった議論はなされていない。
 多くの国民が集団的自衛権の行使に反対、慎重、よく分からないという意思表示をしている中で、憲法改正手続きも取らず、信を問う衆院解散もしない。
 この状況で、自衛隊員は宣誓にあるような「国民の負託に応える」任務として送り出されることになるのか。「国のために戦って死ぬ」と覚悟している自衛隊員ばかりでない。
 私もレンジャー教育を受けるときに初めて、死を覚悟したり、戦争とはどういうものか、というのを肌身に突き付けられたりした。不安に思う自衛隊員の家族の話も聞いている。
 国民の声をきちんと受け止めず、慎重論に配慮することもない最高指揮官は選挙で勝たないと、ただの人だ。国民の負託でなく、安倍首相の負託で、自衛隊員が死地に赴くことになりかねない。
 責任を取ると言っても死者は生き返らない。首相の言葉は無責任極まりない。

「集団的自衛権は必要最小限度にとどまる。限定的で、各国と同様というわけではない。世界各国と同様な集団的自衛権を求めて、従来の政府見解の基本的論理を超えて武力行使を認めるのは困難だ。その場合は憲法改正が必要になる」

元内閣法制局長官・阪田雅裕さん


 必要最小限で、限定的と言うが、それはどこの国でも当たり前のこと。集団的自衛権の行使とは、他国の戦場に自国民を送り出すということ。だから、どの国も好きこのんで行使するわけではない。兵隊もできるだけ少なく、短時間で終わらせたいと思っている。必要最小限、限定的という説明は歯止めでもなんでもない。
 憲法規範として9条が引き続き働き続けるかどうかは、武力行使の新3要件にある「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」が、文字通り読んでもらえるかに懸かっている。
 そのためにも、具体的にどのような場合に要件が満たされるのかを説明すべきだ。紛争中の機雷除去まで可能なら、何でもできるということになってしまう。
 「従来の政府見解の基本的論理を超えて武力行使を認めるのは困難だ。その場合は憲法改正が必要になる」というのは、その通り。不思議なことに、言葉をそのまま読めば、集団的自衛権はほとんど行使できないということになる。
 これに対して容認派から異論が出ていないところをみると、そのようには読んでいないと思われる。つまり、憲法解釈の変更に続いていま行われているのは閣議決定の解釈だ。
 結局、閣議決定がなされても何も解決していないことが分かる。これから閣議決定を基に法律を制定することになるが、世界で何か起こるたび、3要件に当たるのかどうか、この3要件で読み切れないなら、もう少し緩めていいのではないか、という議論が続く。このまま中途半端な結論で終わってしまえば、不毛で国民にとって不幸なことだ。
 9条をめぐる問題は自衛隊が9条の下で認められるのか、という議論が発端だった。集団的自衛権をめぐる議論は、自衛隊の武力の行使をどこまで、どう認めるべきか、国民的な議論をする大きなチャンスだった。
 日本にできることがあれば、少しぐらいやればいい、平和主義の看板をすべて下ろすわけじゃない、と思う人もいるかもしれないが、自国を守るために他の国を守りにいくという行為は国際的にも評価されないということは言えるだろう。

集団的自衛権に関するその他のニュース

社会に関するその他のニュース

PR
PR
PR

[[ item.field_textarea_subtitle ]][[item.title]]

アクセスランキング