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鎌倉時代にも巨大地震? 三浦で隆起痕発見

社会 | 神奈川新聞 | 2014年6月23日(月) 03:00

堆積物調査が行われた三浦市・毘沙門湾沿いの谷。この一帯で隆起痕が見つかった=2012年10月
堆積物調査が行われた三浦市・毘沙門湾沿いの谷。この一帯で隆起痕が見つかった=2012年10月

13世紀後半以降の鎌倉時代に巨大地震が起きた“証拠”とみられる地形の隆起痕が三浦市・毘沙門湾沿いで見つかった。県温泉地学研究所の堆積物調査によるもので、相模湾などに延びるプレート(岩板)境界「相模トラフ」で周期的に繰り返すと考えられているマグニチュード(M)8級の関東地震の痕跡である可能性が高い。金幸隆特別研究員は「これまで詳しく分かっていなかった中世以前の発生時期や周期の解明につながる」とみて、分析を進めている。

歴史上発生が明らかな関東地震は、直近の関東大震災(大正関東地震、1923年)、その一つ前の元禄関東地震(1703年)の2回のみ。政府・地震調査委員会は今年4月、古文書や千葉県南房総市沿岸の浜堤の形成時期などから元禄の一つ前を鎌倉時代の永仁関東地震(1293年)と認定したが、証拠に乏しく、専門家から異論も出ていた。今回の発見は「鎌倉説」を裏付ける成果として注目されそうだ。

房総半島と三浦半島の南部は関東地震のたびに隆起するのが特徴。その際に干潟の一帯が海面より高くなるため陸地が広がり、海岸線から陸に向かって高くなる階段状の地形が証拠として残る場合がある。ただ、そうした痕跡は房総には見られるものの、海沿いまで開発が進んだ三浦半島では見つかっていなかった。

これらの点を踏まえ、温地研は2012~13年度、毘沙門湾に面した谷状の農地を調査適地と見極め、掘削や古い地形図の判読を実施。耕作土層の下から、貝殻などが混じったかつての干潟層を複数の地点で発見し、海岸線が現在より陸側だったことを突き止めた。干潟層はおおむね年代別に標高1~2メートルの5段の段丘になっており、それぞれが時代の異なる巨大地震によって隆起し、陸地化したと判断した。

含有物などから年代を測定した結果、最も海側の干潟層は関東大震災の隆起痕と判明。より内陸側の層には1160~1260年と1260~1380年の木片が含まれており、1260年以降に隆起したことが分かった。この2層の間にある干潟層は元禄関東地震によるものとみられるが、年代の絞り込み作業はまだ終わっていないという。

金特別研究員は「鎌倉時代は1293年の永仁地震以外も大地震の記録があり、どれが関東地震かを特定するのは難しいが、この時期に巨大地震があったことはほぼ間違いない。同じ三浦市内の小網代湾で既に見つかっている津波堆積物の時期とも矛盾しない」と強調。「段丘の形成過程やその間隔などは一律でなく、地震の発生パターンが多様であることも示唆している。今後さらに詳しく調べる必要がある」と話している。

【神奈川新聞】


 
 

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