1. ホーム
  2. ニュース
  3. 社会
  4. ミャンマー難民は今 民主化運動リーダーを訪ねて

ミャンマー難民は今 民主化運動リーダーを訪ねて

社会 | 神奈川新聞 | 2014年6月20日(金) 13:00

タンスエさん
タンスエさん

「最後のフロンティア」と脚光を浴びるミャンマー(旧ビルマ)。軍事政権の弾圧を逃れて来日したミャンマー難民は今、急速に民主化が進んでいるとされる母国をどんな思いで見つめ、自身の将来をどのように考えているのか。「リトルヤンゴン」とも呼ばれる東京・高田馬場に、民主化運動のリーダー2人を訪ねた。20日は世界難民の日-。

○愛する家族、揺れる思い タンスエさん

商店街の一角にあるミャンマー料理店「スィゥ・ミャンマー」。常連客ばかりではない。道行く日本人もふらりと立ち寄り、本場の味を楽しむ。「家族のために頑張るよ」。オーナーのタンスエさん(53)が力を込める。

地質学者だった。民主化運動ではタイ国境に逃れる活動家を支援し、責任者も務めた。治安当局が自宅に踏み込む5日前、危険を察知してタイに出国し、1989年に来日。以来25年、デモや集会の先頭に立ち、97年に難民認定された。

妻、高校2年の長女、小学4年の長男の4人家族。母国の変化を前に、家族そろっての帰国を望む。新たな国造りに役立ちたい。年金に加入しておらず、日本での将来に不安もある。母国を離れて以降、父親は何度も治安当局に拘束され、体調を崩して亡くなった。自責の念を抱え、再会できないままの母親の近くで暮らし、親孝行をしたい。

ただ、多くの難民同様、子どもたちの将来を思い、帰国をためらう。日本生まれの子どもたちは日本での生活を望む。日本の学校に通い、友達も日本人。ミャンマー語は苦手で、親子の会話には日本語とミャンマー語が交ざり合う。日本文化で育ち、ミャンマーへの帰国は外国への移住のような感覚だ。将来は日本の大学への進学を希望する。

アイデンティティーとともに気をもむのが、子どもたちの「無国籍」の境遇だ。日本での外国人登録は「ミャンマー」だが、ミャンマーでは未登録。「将来、どんな影響があるか分からない」と懸念する。支援団体「ビルマ市民フォーラム」によると、ミャンマーに帰国できないほか、国によっては渡航できなかったり、入国時に足止めされたりする。長期留学や結婚の際にも支障が出かねない。

両親と離別し、家族のかけがえのなさを肌で感じているからこそ、子どもたちと一緒の生活を切望する。一方、信念を持って民主化運動に身を投じたからこそ、子どもたちにも自分の信じる道を進んでほしい。愛するがゆえ、思いは揺れる。

「子どもたちには、日本とミャンマーの懸け橋になってほしい」。独り立ちしたころには、夫婦そろって帰国しているつもりだ。「仕事をしながら暮らすうちにミャンマーを気に入り、ずっと住んでくれるかもしれない。そうなったら、一番うれしいです」

○見えぬ動きこそ注視 チョウチョウソーさん

ミャンマーは変わったか。その問い掛けに、チョウチョウソーさん(51)は「自由にはなっている。でも、それは国際社会へのアピール」と言い切り、こう続けた。「私が、証拠ですよ」

昨年7月、東京都内の在日ミャンマー大使館に足を運び、他の民主化運動のリーダーとともに一時帰国の短期ビザを申請した。だが、1年が経過する今も、自身とタンスエさんの2人はビザが発給されていない。理由は明かされず、問い合わせにも回答はない。

母国では会計士だった。民主化運動の仲間が1人、2人と逮捕される中、身の危険を感じて1991年、タイ経由で日本に逃れた。来日後、世界26カ国の同胞に向けて雑誌を発行。軍事政権に名指しで批判され、97年に難民認定された。

来日23年、ミャンマー料理店「ルビー」を経営する傍ら、帰国の日を思い描いてきた。民主化が進む今、新たな国造りに参加したいとの思いが募る。母国に帰るのになぜビザが必要なのかという歯がゆさを抑えつつ、まずは一時帰国して自分の目で変化を確認し、役に立てることを考えたい。

だが、一時帰国を果たす同胞も多い中、自身の入り口は閉ざされている。「権利を使うかどうかは個人の判断。でも、機会は平等であるべきでしょう」。民主社会の大原則が通用せず、「民主化が進んでいる」との触れ込みと矛盾する。

思い当たるのは、2週間に1度のミャンマーの新聞への寄稿だ。独裁の手口を記した。権力者による富の独占、民間団体などを隠れみのにした権力維持、メディアコントロール…。感情にまかせて批判するのではなく、世界各国の独裁体制を具体例として挙げながら、冷静に事実を伝えた。「善しあしを判断するのは読んだ人。自分の頭で考えてもらいたい」との思いからだ。

官民を挙げて、ミャンマーへの経済進出に突き進む日本。民主化が順調に進んでいるという“誤解”を残念に思う。

例えばメディア。ミャンマーの街には新聞や雑誌が並び、報道の自由が保障されているように見える。確かに自由に書くことはできる。ただ今年に入り、政権の意にそぐわない内容を書いたジャーナリストが次々と拘束されているという。一時帰国さえかなわない自身の姿が重なる。「自分の生活だけを考えるならば帰国しても問題ない。でも、社会のために生きようと思うなら、まだまだ厳しい」

人々が知らないうちに、大きな問題ではないと思っているうちに、少しずつ社会を変え、気付いたときには後戻りできない状態にしてしまう。権力者の常とう手段だ。実態が見えないことは人々の猜疑(さいぎ)心や恐怖心をあおり、行動を抑制させることもある。「分かりやすい表面の経済的なことだけを見ていてはいけない。裏側で何が起きているのか。しっかりと目を向け、暗闇に光を当ててほしい。見えないことが一番怖いんです」。日本の現状への警鐘でもある。

50代となり、心身が最も充実しているという今だからこそ、帰国のチャンスに恵まれず、悔しく思う。とはいえ、心は折れない。今はまだ帰る時期ではないと思い直し、人と会い、議論し、勉強を重ね、すべてを帰国後の準備と考える。「日本で学ぶことは、まだまだいっぱいある。日本はトレーニングクラブ。たくさん“練習”して、ビルマでの“試合”に備えます」

▼記者の視点:国際社会、身近にも

2人と初めて会ったのは2011年5月、JR高田馬場駅前だった。東日本大震災から2カ月、「故郷を失い、家族と引き裂かれるつらさがよく分かる」「困っている人を助けるのは当たり前」。約100人の在日ミャンマー人が被災地支援に行くと聞き、チャーターしたバスに同乗した。以来、彼らから多くを学んだ。

個人では抗(あらが)えない大きな力に押しつぶされそうになる。彼らの姿から、絶望の意味を知った。知識人も多く、議論好き。自由、権利、義務、国家、憲法、権力、民主主義…。深い教養に支えられ、実体験に裏打ちされた持論に刺激を受けた。目先の利益ばかりを追求する愚かさと、理想や正論を堂々と語り、ひた向きに行動し続ける尊さを教わった。

日本は海外の難民問題には積極的だが、保護を求めて来日する人々には冷たい。国際社会からは「難民鎖国」と批判され続けている。意気軒高に海を渡ることばかりが国際化ではない。私たちの身近なところにも国際社会は広がっている。まずは、彼らの声に耳を傾けることから始めたい。

◆ミャンマーの民主化 1988年の全国的な民主化運動を軍部が制圧して以降、軍事政権が権力を掌握していた。2011年に「民政移管」され、新政府は政治囚の釈放や検閲の廃止など民主化政策を実施。経済改革を図り、各国企業が進出している。一方、軍部に有利な憲法の規定に伴い、政府、議会ともに軍部が現在も実質的に支配し、政治に強い影響力を持つ構造が続いている。

【神奈川新聞】


チョウチョウソーさん
チョウチョウソーさん

日本文化に関するその他のニュース

社会に関するその他のニュース

PR
PR
PR

[[ item.field_textarea_subtitle ]][[item.title]]

アクセスランキング