知的障害の子を持つ親で組織する「秦野市手をつなぐ育成会」が、息の長い被災地支援を続けている。東日本大震災の発生から半年後に物資を届けたのを機に、市民有志と「支援隊」をつくり、現地の仮設住宅への訪問を続けている。同育成会の相原和枝会長(60)は「普段は支援を受ける側の場合が多いわれわれだからこそ、できる支援があるはず」と語る。
14日には宮城県南三陸町に出向いた。恒例の炊き出しは、メンバーがタイ焼き機や綿あめ機も持参する。秦野の名産品なども振る舞い、「お祭りをそのまま持っていく感じ」と相原さん。今回は「秦野観光和太鼓」が初参加し、お祭り気分を盛り上げた。
震災半年後に支援物資を届けるために初めて被災地に入り、震災2年目からは、毎年2度訪れている。227世帯555人が住む「平成の森仮設住宅」に来るのは、昨年から数えて3度目。顔なじみになった住人は、いつも笑顔で迎えてくれる。
その際、笑顔の裏にある苦労、苦悩にまで思いを及ばせる。「自分たちの活動も押し付けなんじゃないか」。よかれと思っての支援、励ましの言葉が逆に負担になってやしないか。知的障害がある息子を育てる母として、その難しさが分かる。
「知的障害の子を持つ親は本当に大変。『頑張れ』って言ってくれる人がいる。でもこれ以上、どう頑張れというのかと思う。私たちは何げないことで傷ついた経験がある。被災者の方々もそうだと思う」
思いを仮設住宅の自治会長に伝えると、言われた。
「高齢者の多くは毎日同じ人にしか会わない。例えいっときの楽しさでも、それが余韻として1週間続くだけでも、意味がある」
震災から3年以上がたち、相原さんは「被災者の格差が広がっている」と感じる。仮設から出る人がいる一方、子も家も失い、前へ進めない高齢者も多い。
「その苦しみをどう受け止めるかは、本当に難しい。私たちにできるのは彼らの話に耳を傾け、いっときでも『余韻』をつくることぐらいなのかもしれない」
自身が代表を務める秦野市保健福祉センター内の「ともしびショップ“ま木”」では、宮城県女川町の知的障害者が作業所で作ったかりんとうなどを販売している。「これ、おいしいんですよ」。地道な支援を、これからも続けていく。
【神奈川新聞】