
英国のバンド「ビートルズ」の「オブラディ・オブラダ」の編曲や全日本吹奏楽コンクールの課題曲などを手がけ、吹奏楽ポップスの父と親しまれた作・編曲家で指揮者の岩井直溥(なおひろ)さんが10日、呼吸不全のため死去し、葬儀が14日に碑文谷会館(東京都目黒区)でいとなまれた。
葬儀では、「おしゃれな岩井さんには、地味な葬式は似合わない」と盟友のジャズドラマー・猪俣猛さんが太鼓を打ち鳴らしながら「聖者の行進」を熱唱。参列者200人も手拍子をしたり、歌詞を口ずさみながら故人を見送った。
式場内では「音楽を楽しんでほしい」という故人の願いを忘れぬよう、岩井さんが編曲したジャズのスタンダード曲「シング・シング・シング」などの楽曲映像が次々とモニターに映し出された。吹奏楽団「シエナ・ウインド・オーケストラ」が演奏し、佐渡裕さんがタクトを振る映像は躍動感にあふれ、「楽しくなければ音楽ではない」と言い続けてきた故人の思いが、音楽家たちに受け継がれていることを感じさせた。
岩井さんの長男で喪主の道博さんは「ぜんそくなどの持病がつらい時期も、親父が音楽活動を続けることができたのは、ステージに上がったときに、みなさんが大きな拍手をしてくれたから。晩年は寝たきりの生活が多かったですが、横になっている間は家族と過ごす時間を持つことができてよかった。吹奏楽ポップスの父と呼ばれた父でしたが、私たちとともに過ごすときは、時代劇と犬が大好きな優しいおじいちゃんでした」と語り、こぼれた涙をぬぐった。
参列者代表として弔辞を読んだ音楽ライターの富樫鉄火さんは、「『フランキー堺とシティ・スリッカーズ』の専属アレンジャーとして冗談音楽を書いたことが、『ハナ肇とクレージー・キャッツ』の誕生のきっかけを生み、坂本九ら名歌手のアレンジを手がけたことは昭和歌謡の全盛期を支えました。そしてなにより、『ニューサウンズ・イン・ブラス』という世界的にまれなレコードと楽譜のダブル・シリーズを定着させ日本の吹奏楽音楽の発展に大きな影響を与えた」と偉業を称え、「日本で最も愛され、演奏された譜面はモーツァルトでもショパンでもなく、岩井先生」と死を悼んだ。【西村綾乃】



