正午を迎えようとしていた藤沢市民病院救命救急センター(ER)、その知らせが辺りの空気を一変させた。
「サチュレーション、90しかないって」
「えっ、90?」
近くの診療所からの受け入れ要請。4歳、男児。血液中の酸素濃度が正常値を下回っている。放っておけば呼吸不全、意識不明に陥る恐れもある。「医師同乗で救急搬送しよう。すぐ一緒に出ます」
言うなり、福島亮介(43)は救急車に飛び乗っていった。10分後、ストレッチャーに乗せられた男の子が運び込まれた。口を酸素マスクで覆い、落ち着いたところを見計らってレントゲンを撮る。入院は即決された。
一息つき、福島が語り始める。「血圧や脈拍といった少ない情報から、幾つ疾患が思い浮かぶか。そこから一つ一つ可能性を排除しながら、取るべき手順を踏んでいく。求められるのは、1秒でも早く先へ進むための判断です」
この男の子の場合は胸の音から気道の炎症を疑い、救急車の中で薬剤を点滴で投与していた。遅滞ない処置は、そうして可能になる。だが、相手は自分の症状を言葉でうまく説明できない子どもであり、乳幼児だ。
「最初にすると決めているのは『お口をあーん、してくれるかな』です。子どもは泣いたり、取り乱したりしていることが多い。点滴の針を刺し、痛い思いをさせてからでは、怖がって口を開けてくれなくなるので」目線は低く、子どもに合わせる。小児救急医、福島のそれが流儀だ。
激務の救命救急の現場。中でも小児救急は手薄になりがちだ。「同じ救急医でも子どもは扱い慣れていない。薬の量一つとっても成人とは異なる知識が必要だからだ。そして小児科医であっても、外科的な手当てや処置が得意な医師は多くない」
細分化、専門化された現代医療の現実。その矛盾のはざま、孤塁を守る。同僚は福島をこう評する。「一匹オオカミ。異端ではあるが、変わり者という意味とは違う」
医師になったのは30歳。確かに足跡は異色といえた。県立高校を出て、通ったのは慶応大理工学部。大学院に進むつもりだった。4年生の夏、かねて関心があった青年海外協力隊の説明会に足を運び、落胆した。
「できることは何もなかった」