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相模トラフ地震、鎌倉時代にもM8級 「元禄」以前の時期解明

社会 | 神奈川新聞 | 2014年4月26日(土) 03:00

相模トラフで繰り返すマグニチュード(M)8級の巨大地震が、鎌倉時代の1293(永仁元)年にも起きていたとする地震活動の新たな評価結果が25日、政府・地震調査委員会から公表された。相模トラフのM8級はこれまで、直近の1923年の大正関東地震(関東大震災、M7・9)、江戸時代の1703年に発生した元禄関東地震(M8・2)の2回しか特定されておらず、発生周期を解く根拠が不十分だった。三浦での津波堆積物調査などの新知見を踏まえ、新たに「永仁関東地震」をM8級のサイクルに位置付け、周期の解明と発生リスクの算定を試みている。

元禄と大正の間隔は220年。新たにM8級とされた永仁と元禄は410年で約2倍となるが、地震調査委の関係者は「自然現象であり、間隔が一定になるとは限らない」と指摘。これら三つの地震から算出したM8級の平均間隔は約320年となった。また、房総半島に残る海岸段丘や相模湾の津波堆積物などの痕跡からは約390年間隔とされた。

調査委が2004年8月に公表した相模トラフ沿いの地震活動に関する評価では、大正、元禄以外のM8級は「十分な歴史資料が得られていない」と指摘。永仁については、鎌倉の建長寺が炎上したと記した日記や死者2万3千人余りとする年代記があり、地震の存在自体は認められていたが、発生場所や規模は分かっていなかった。

その後研究が進み、08年には三浦市・小網代湾で行われた調査で3層の津波堆積物が発見され、最上層は大正、中間層が元禄でもたらされ、最下層が形成されたのは12~14世紀ごろと判明。さらに、大正と同様の関東地震による隆起で形成された千葉県南房総市の浜堤列の一部と、相模トラフと一緒に動く場合があると考えられている神奈川西部の神縄・国府津-松田断層帯の最新活動時期がともに1300年前後に該当するとの調査成果を取り入れ、永仁の地震が相模トラフのM8級だったと結論付けた。

地震が起きた場所や規模は大正とほぼ同様で、相模湾とその周辺だったとみている。

◇30年以内「ほぼ0~5%」発生確率

関東大震災に匹敵するマグニチュード(M)8級はいつごろに起きるのか。政府・地震調査委員会が25日発表した相模トラフ地震の新たな評価では、今後30年以内の発生確率を「ほぼ0~5%」、50年以内は「ほぼ0~10%」とした。

見直し前の「ほぼ0~2%」(今年1月時点)より最大値はわずかに高まったが、「算定の根拠や方法の変更が主因であり、危険性が高まったわけではない」と調査委は説明している。

今回の評価では、2004年の前回評価で採用されていた「大正型」(M7・9)、より規模が大きかった「元禄型」(M8・2)という地震の発生パターンの分類は取りやめた。東日本大震災を教訓に、地震の多様性や知見の不確実性を考慮したためで、相模トラフで起こり得る最大級を含めたM8級全体(M7・9~8・6)として確率を算出した。

一方、M8級と別に切迫性が指摘されてきたM7級は、これまでと同様に30年以内は「70%程度」となった。元禄から大正までの220年間に起きた8回のM7級を基に算出したが、発生間隔や規模がばらついており、「特定の震源域で繰り返し起きる地震として扱うのは困難」とした。

◆相模トラフ 日本列島が乗る北米プレート(岩板)と、その下に南側から沈み込むフィリピン海プレートとの境界部に当たる海底の溝状の地形。相模湾北西部から房総半島の沖合へ延びている。その下には東側から太平洋プレートが沈み込んでいるため首都圏の地下構造は複雑で、地震活動も活発。沈み込みに伴ってトラフに蓄積されたひずみが解放されるときに津波を伴ったマグニチュード(M)8級の巨大地震が起きると考えられ、その発生時期が近づくとM7級が多発するとの見方がある。

【神奈川新聞】

 
 

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