
横浜中心部の商店街、イセザキ・モールの老舗時計店に40年間売れ残っている小さな置き時計がある。店主が2代にわたって入念に手入れをし、静かに時を刻み続けてきた。ことし創業60年を迎えたこの店は20日の営業を最後に閉じる。売り物だった時計は、イセザキのかつての繁栄を象徴する思い出となっている。
古時計は、時計と宝飾の「クニミ」(横浜市中区伊勢佐木町)の商品棚に置かれている。機械式のスイス製で、高さは25センチほど。ドーム型のガラスケースが特徴で、その中で四つの振り子がクルクルと回る。精緻な作りで、ローマ数字の文字盤がレトロな雰囲気を醸し出している。いつからか値札も外され、2代目店主の國見信雄さん(67)は「愛着も湧き、次第に売る気もなくなってね」と笑う。
店は1954年創業。当時は欧州製の腕時計を主に扱い、おしゃれにこだわるハマっ子に支持された。古時計は初代店主の父俊夫さん(87)がスイスから仕入れた自慢の逸品だ。
信雄さんが家業を継いだのは70年。横浜港に寄港する外国船が年を追うごとに増え、イセザキ・モールには外国人船員が目立っていた。
近くのギリシャ・バーなどの紹介で各国の船員が次々と店を訪れ、セイコーの自動巻き腕時計を10個、20個と買い求めた。在庫が底を突き、信雄さんが、関内にあったセイコーの代理店まで自転車を走らせたこともあった。
時は過ぎ、外国人船員の姿も見られなくなった。「携帯電話が出回ったと思ったら、あっという間に若い人が腕時計を買いに来なくなった」。子どもたちは巣立ち、独立した。時計職人でもある信雄さんは機械式時計の修理などを手掛けながら、夫婦で生計を立ててきた。
イセザキ・モールでは老舗の閉店が相次ぐ。3月末にはサンマーメンが人気だった中華料理店「水幸楼」が47年の歴史に幕を閉じた。信雄さんは「街も私たちも年を取った。昔の活気は取り戻せない」とこぼす。
かつては20軒はあったという時計専門店は、クニミを最後にイセザキから姿を消す。信雄さんは中区山元町に移転し営業を再開するつもりだが、古時計を引き取りたいという人が現れたら、条件によっては譲ってもいいとも考え始めた。
信雄さんは思う。「華やかだった時代から伊勢佐木町でずっと時を刻んできた。40年という時間の重みを分かち合える人がいたら使ってもらいたい」
【神奈川新聞】