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米軍根岸住宅内の日本人家族、地位協定の不条理に向き合う

社会 | 神奈川新聞 | 2014年3月19日(水) 10:36

立ち入りを禁じる看板の隣に立つ佐治さん夫妻=1月、横浜市中区の米軍根岸住宅地区
立ち入りを禁じる看板の隣に立つ佐治さん夫妻=1月、横浜市中区の米軍根岸住宅地区

横浜市に全国で唯一、米軍住宅地区の内部に「陸の孤島」のように取り残された日本人住宅がある。住民は昨年末、日常生活を制限されているとし、国を相手に損害賠償を求める訴訟を起こした。日本の中の「米国」とされる米軍施設のさらに内側に、戦後60年以上にわたって日米両国から放置され続けた生活があった。

「100% ID CHECK」。横浜市中区の住宅街にあるゲート前には、身分証の提示を求める看板が立つ。守衛が目を光らせるその門を通過すると、なだらかな丘陵地帯に水色やピンクなどパステルカラーの外壁の洋風住宅が立ち並ぶ。敷地に十分なゆとりがある上、テニスコートや教会もあり、まるで外国のようだ。

整備された道路を600メートルほど進むと突然、和風の木造2階建て住宅が現れた。生け垣や柵に囲まれ、敷地前には英語と日本語標記の「ここから私有地 立ち入り禁止」の立て看板。米軍根岸住宅地区内の民有地に立つのが、佐治実さん(66)の自宅だ。

佐治さんによると、住宅は妻のみどりさん(62)の祖父が1936(昭和11)年に土地を取得し、別荘として建てた。ところが、終戦後の47年に米軍が周囲の畑を接収。理由は分からないが、佐治さん宅を含む5世帯が接収の対象にならなかった。

佐治さんは、この家で育ったみどりさんと結婚後に移り住み、現在は夫婦と子どもの4人で暮らす。ある米軍幹部はこう言って驚いた。「世界各国に駐留する米軍にとっても、こんな土地はここだけだ」

一見、周囲を洋風住宅に囲まれているだけのように見えるが、家族はさまざまな人権侵害を味わってきた。

2003年3月、当時のブッシュ米大統領は、大量破壊兵器の開発を進めているとして、イラクへの先制攻撃を開始する。イラク戦争の勃発だった。

思わぬ余波が、日本の佐治さん一家にも降り掛かった。当時、会社員として働いていた佐治さんは、いつも通り職場から自宅に帰ろうとすると、住宅地区のゲート前で止められた。日米地位協定が規定する排他的管理権を盾に、守衛は「日本人の立ち入りを禁じる」と主張した。

自宅へ通じる道は、2カ所ある米軍管理のゲートのみ。「そんなばかなことがあるか。自分の家に帰りたいだけだ」。携行している特別交付の通行証を示し、猛抗議した末、深夜になってようやく通行を許された。「いつまた閉め出されるか分からない」。国際情勢や米政府の動向で外出や帰宅ができなくなる不安は、今も消えない。

施設内の警察権もまた、地位協定により米軍側にある。自宅の庭先から物がなくなっていたり、子どもが米軍関係者に追い掛けられたりしたこともたびたびだった。それでも「自宅から一歩でも出れば、ピストルで撃たれたとしても文句を言えない治外法権。泣き寝入りするしかなかった」。佐治さんは悔しがる。

そんな思いをしてまで、なぜそこに住み続けるのか。「米軍の方が後から来たんだ」。一家は不条理を感じながらも、長年にわたって解決の道を探ってきた。他の土地で暮らすには元手が必要で、02年ごろから防衛施設庁(当時)に土地の借り上げや買い取りを求めてきた。

「先祖からの土地を守りつつ、転居先で暮らす収入を得る方法」として、発電事業などを考えたこともあったが、結局、許可されなかった。

自宅の建て替えもできず困っていると、当局から「敷地内に新居を建てれば、残りの土地は借り上げる」と打診された。急いでハウスメーカーを回り、模型まで作って新居建築の準備をした。だが年度が替わって新しい担当者になると、「そんな話はない」と一蹴された。

「防衛省の出先機関と本省をたらい回しにされた末、担当者が代われば話が白紙に戻る。10年はあっという間に過ぎた」

同省が正式に回答したのは、12年のこと。国の鑑定評価額が約1億6千万円とされる約790平方メートルの所有地に対し、示された補償額は「土地利用代として年80万円」。到底、納得できる内容ではなかった。

地位協定を結んだ日本政府、そして地位協定で日本国内での特権を認められた米軍に翻弄(ほんろう)される日々。「自分たちの代で、根本的に解決をしたい」。佐治さん夫妻は、提訴を決意した。

米軍が日本国内に駐留する現状について、佐治さんは「日本の安全保障のため、一定程度は必要」と考えている。一方で「それに伴う問題は国が責任を持つべきなのに、対応できていない」と批判する。

「結局、自分たちのような小さな声は届かない」。日本国内でありながら、地位協定によって日本の主権が制限された米軍施設。施設内部に偶然、自宅と土地があったことで、その不条理と向き合わざるを得なかった佐治さんの実感だ。

この家で生まれ、62年間住み続けるみどりさんも言う。「国のために犠牲を強いられているのに、国は守ってくれない。私たちは、どこの国の国民なのか」

◆接収初期の混乱原因か

根岸住宅地区内に非提供地が残ったいきさつは、分かっていない。県内の米軍基地に詳しい横浜市史資料室の羽田博昭主任調査研究員によると、現存する終戦直後の接収関連文書に佐治さんの土地が取り残された理由についての記載はないという。

米軍の主要部隊が置かれた横浜では、根岸地区以外にも本牧、山手両地区が家族住宅用の接収対象となった。本牧は横浜大空襲で家屋が焼失し大規模な宅地造成が可能だったため、山手は洋館が多かったためと考えられている。羽田研究員は、佐治さん一家のケースについて「和風建築の家屋で米軍側に不要と判断され、接収を免れた可能性がある」と推測する。

「米軍住宅建築や、1952年に結ばれた両国間の行政協定など、国が気付く機会はあった」とする羽田研究員は、「国は接続道の整備や土地の補償など早期に対応できたはず」と指摘。現在まで問題が続いた背景について、「日米双方で対応のなすり付け合いもあったのでは」と推測している。

【神奈川新聞】

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