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寿物語(3) 安心感 過酷ゆえの信心深さ

社会 | 神奈川新聞 | 2014年2月25日(火) 00:00

横浜・寿地区の路地。さまざまな思いを抱えた住人らが往来している
横浜・寿地区の路地。さまざまな思いを抱えた住人らが往来している

夕暮れ時、横浜・寿地区に男性の声が響く。「お地蔵さーん。今日も一日、元気に過ごすことができました。ありがとうございまーす」。ほろ酔い気味ながら、声を張り上げて熱心に祈る。「明日も一日、よろしくお願いしまーす」

町の一角にひっそりと立つお地蔵さん。タンポポ、シロツメグサ…。簡易宿泊所(簡宿)に暮らす人々が公園や路肩から摘んできたのだろう。季節ごとに野の花が手向けられる。線香の代わりに供えられたたばこからは、白い煙がゆっくりと立ち上る。

「みんな、自分のお地蔵さんだと思っています」。福祉作業所の運営に携わる佐藤真理子さん(61)が住人の思いを代弁する。

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1970年代半ば、寿では親子2人の托鉢(たくはつ)僧の姿が見られた。自治会関係者とともに、得度したばかりの4歳の男児が歩き、父親が続く。横浜市青葉区の古刹(こさつ)、徳恩寺の住職・鹿野融完さん(43)と先代の故・融照さん。住人の力で、寿に供養塔を建てるためだった。

きっかけは父親が弟子から伝え聞いた寿の住人の言葉だった。「坊主はお布施を出す人しか供養してくれない」。家族や古里と縁が切れ、亡くなっても無縁仏として葬られる怖さ、誰からもしのばれずに忘れ去られてしまう寂しさ…。そんな不安の裏返しに思えた。以来、親子で寿に通った。

当時の寿は、血気盛んな日雇い労働者の町。鹿野さんの記憶は「臭くて、暗くて、怖かった」。読経すると「縁起が悪い」とカップ酒の瓶を投げ付けられた。それでも、瓶を投げてきた男性が「この間は悪かったな」と、100円のお布施をしてくれた。黒くごつごつした大きな手で鹿野さんの頭をガシガシとなでながら、「坊主、頑張ってくれよ」と500円札を入れてくれたり、現金だと照れるのか、「飲んでくれ」と缶ジュースを差し入れてくれたり。「荒っぽい。でも、喜怒哀楽がはっきりして人間くさい町だった。優しい、優しい人たちでした」

住人のお布施が集まり、お地蔵さんが建立された。顔なじみとはいえ、住人はお互いに本名を明かさない。経歴も語らず、出身地を偽ることもある。だが、差別や偏見を持たず平等に付き合う仲間が、自分が死んでもお地蔵さんに手を合わせ、いつでも供養してくれる。そんな安心感が生まれた。以来、お地蔵さんは住人の心のよりどころだ。

「家族や古里を失い、過酷な人生を送ってきた人たちだからこそ信心深い。自分が生きていたことを覚えてくれる人がいる。とても掛け替えのないことです」

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佐藤さんは多くの死と向き合ってきた。

「(遺骨を)宅配便で送ってほしい」。認知症だった男性の遺族に連絡すると、電話口の兄嫁の反応は冷たかった。説得し、葬儀には弟夫婦が参列した。アルコール依存症だった男性は酔うと幼いわが子の前でも暴れたといい、「ろくな死に方をしないと思っていた」と弟。だが、作業所の仲間に愛され、穏やかに過ごした晩年を伝えると「別人のようだ」。涙を流し、大事そうに遺骨を抱えて北海道に帰った。40年間、弟を捜し続けていたという兄が、九州から遺骨を引き取りに来たこともある。

日々、付き合う寿の住人は心優しい。なぜ家族と別れたのかと不思議に思う。ただ、寿に来るまでの経緯は分からない。家族にしてみれば苦労の連続だったのだろう。「たとえ縁は切れていても、残される家族にとって夫や父親を一生恨み続けるのは、つらいのではないか。本人が生きているうちに、せめて思いの丈をぶつけて楽になってほしい」。住人が余命わずかと聞けば、佐藤さんは家族を捜す。だが、遺骨の引き取り同様、多くの場合は面会を拒否される。再会がかなうのは、ごくまれだ。

末期がんを患った男性は死を予感したのだろう。自身が知る妻子の住所を訪ねた。「もう、いなかったよ」。病床で寂しそうにつぶやき、静かに息を引き取った。

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徳恩寺の門は夜も開けられている。「誰もが門を閉じ、鍵を掛ける時代。でも、それで本当に人を守れるのか。困っている人はいつ訪れるか分かりません」。鹿野さんの思いだ。

彼岸を迎えると、佐藤さんはその門をくぐり、境内の小高い丘に向かう。作業所のメンバーと一緒に手を合わせる先は、寿の住人の共同墓地「千秋の丘」。寿の250人以上が埋葬され、東京・山谷なども含めると300人を超える。

お地蔵さんの建立以来、寿と徳恩寺の縁が深まると、住人から「徳恩寺にお墓がほしい」という声が上がるようになった。同じころ、現場作業中の事故で寿の関係者が亡くなり、遺族が賠償金を寄付。90年代初め、檀(だん)家(か)や周囲の協力も得て、千秋の丘が完成した。

お地蔵さん同様、千秋の丘もまた、孤独を抱えた寿の住人に安心感を与える。死に逝く本人は「死んだ仲間の所に行ける。この世での別れは永遠の別れではない」と思うことができる。残される人たちも「精いっぱい生きたな。もういいんだよ」と言いながら、仲間の元に送ることができる。

佐藤さんは思う。「今の時代、葬儀やお墓のことを煩わしいと感じる人は多いかもしれない。でもそれは、別れを惜しんでくれる家族がいて、入るお墓があるからこそ思えること。家族や古里との縁が切れた人にとっては、とても、とても大切なことなんです」

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鹿野さんは頻繁に寿を訪れる。お盆にはお地蔵さんの前で供養し、檀家の人たちが千食分の炊き出しを行う。希望があれば通夜や葬儀を執り行い、戒名もつける。お布施は受け取らない。

港湾が整備され、ビルが立ち並び、美しい街並みが人気を集める横浜。その礎として現場で汗を流した寿の住人は今、家族を思いながらひっそりと老い、望郷の念を抱えつつ死を迎えている。「働くことができなくなったからと切り捨てていいのか。寿の人たちへの感謝を忘れてはいけない。『おかげさま』の心です」

豊かな自然に囲まれた千秋の丘は、かなたに横浜ランドマークタワーを望み、その傍らには寿がある。ボタンの掛け違いで、寿が終(つい)の住(す)み処(か)となった人たち。生まれ育った古里の原風景のような場所で、ゆっくりと休んでほしい。自分たちが築き上げた横浜を見渡しながら、寿で生きる仲間たちを見守り続けてほしい。鹿野さんの願いだ。

4歳で得度して以来、常に寿があった。「『お坊さん』という呼び方。『お』と『さん』の両方が付いて、どこか偉そうでしょう。でも寿では、いつでも一人の『坊主』に戻ることができるんです」。宗教家としての原点に、これからも寄り添っていく。

【神奈川新聞】

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