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寿物語(1)生きがい 孤独和らげ心の支え

社会 | 神奈川新聞 | 2014年2月23日(日) 00:00

簡易宿泊所が立ち並ぶ横浜・寿地区。毎週金曜日には支援団体による炊き出しが行われ、住人の長い列ができる
簡易宿泊所が立ち並ぶ横浜・寿地区。毎週金曜日には支援団体による炊き出しが行われ、住人の長い列ができる

かつて「日雇い労働者の町」といわれ、横浜の発展に貢献し、日本の経済成長を足元から支えた横浜・寿地区。高齢化が進むなど、今では「福祉ニーズの高い町」に様変わりしている。さまざまな人生を抱えて暮らす人々は何を思い、彼らに寄り添う人々は何を感じているのか。この町を見つめ、この国を考える。

銭湯でほてった体は、すでに冷え切っていた。帰宅後、備え付けのテレビをつけると、紅白歌合戦が終わりかけていた。敷きっ放しの布団にごろりと横になり、画面に目を向ける。盛大なフィナーレに続いて一転、静寂の中で鳴り響く除夜の鐘が映し出された。

「除夜の鐘を聞くと、翌年は恵みが多くなるんだって」。幼いころに祖母から聞かされ、毎年欠かさず鐘の音に耳を傾ける。だが、画面に映る人々の幸せそうな姿がまぶしい。手持ちのお金も尽きかけている。口寂しさもあり、早々に眠りについた。

寿の一角、簡易宿泊所(簡宿)2階の3畳一間。ある男性(59)は、いつもと変わらぬ大みそかを過ごし、独り新年を迎えた。

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京急線神奈川駅近くの横浜・青木橋。1990年代末の秋、橋桁からのぞき込む大薮さんの眼下では、ごう音とともに電車が走り抜けていた。

横須賀市出身。幼いころから電車が好きだった。小学5年になると、親には内緒で京急線に揺られて上京。地下鉄、西武線、東武線、小田急線…。地図を片手に乗り継いだ。「カラフルな色が好きでね。見ているだけでわくわくしたよ」。高校卒業後は国鉄に就職。「本当はなじみの京急に入りたかった。それでも車両を塗装する仕事でね。念願がかない、天職だと思ったよ」。23歳で結婚し、2人の子宝にも恵まれた。

幸せな人生はしかし、借金の保証人になったことで狂い始める。国鉄民営化の話が持ち上がる中、30代で退職を余儀なくされた。以来、仕事を転々としたが、家族を失い、40代半ばで路上生活を始めた。

寝床を求め、関内地区にあるJRのガード下や、桜木町や横浜駅周辺の地下道をさまよった。売れ残ったコンビニ弁当などで命をつなぐ日々。心の中で謝りながら無銭飲食をしたこともある。雪の夜には寒さに震え、死を覚悟した。路上生活を1年ほど続け、2度目の冬が近づくころ、青木橋に向かった。

「こんな人生に意味はない。どうせなら大好きな電車にひかれて死にたい」。橋桁に足を掛け、身を乗り出した瞬間、背後で車が止まった。駆け寄ってきた50代とおぼしき男性に引きずり下ろされ、平手でほおを殴られた。「ばかなことをするな。みんな希望を持って生きているんだ」。寿に出入りする日雇い労働の手配師だった。かつて工事現場で働いた際、寿の近くを車で通ったことはあったが、「怖い町」といううわさを耳にして足を踏み入れたことはなかった。言われるままに中区役所まで車に乗せてもらい、寿に身を寄せた。

簡宿で過ごす初めての夜、布団にくるまり、心底思った。「屋根の下で横になれる。布団の中で眠れる。何てありがたいんだろう」。翌日には建設現場で働き、日給を手にした。1年ぶりに握った1万円札の手触り、そして働くことができる喜び。涙がこぼれそうだった。

以来10余年、寿で生きる。

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寿で福祉作業所の運営に携わる佐藤真理子さん(61)には、忘れられない光景がある。

簡宿に向かうケースワーカーの5メートルほど後ろを70代とみられる男性が歩いていた。日焼け具合が長年の路上生活を物語る。受け入れ先がなく、連れて来られたのだろう。足取りは重く、うつむき加減でトボトボと歩く。「俺もついに、寿か」。5メートルという距離が男性の心の内を語っていた。

「寿の高齢化はかつての日雇い労働者が年齢を重ねた結果ではない。むしろ、高齢になってから流れ着くお年寄りが多い」。例えば、独り暮らしのお年寄りが体調を崩す。病院に入院したり、施設に入所したりするが、ある期間で退院を迫られ、時には退所を求められる。古里を離れ、家族を失っていれば帰る場所はない。だが、単身のお年寄りが一般のアパートを借りるのは容易ではない。障害や依存症を抱えていればなおさらだ。一方、簡宿は原則、誰でも受け入れてくれる。社会の受け皿からこぼれ落ち、寿に住まざるを得ない状況に追い込まれたお年寄りが次々と流入し、簡宿を終(つい)の住処(すみか)としている。

「自分の意思で寿に来る人はほとんどいない。家族が1カ月分の簡宿代を置いて立ち去ったケースもある」と佐藤さん。捨てられた-。寿に来た当初は、絶望感を抱えているという。

「町全体が巨大な高齢者施設。まるで、都会の中の限界集落」。なか伝道所の牧師・渡辺英俊さん(80)は高齢化が著しい寿をこう表現し、この町に寄り添う人々の思いを代弁する。「生まれて良かった。住人には、せめてそう思ってほしい。彼らには生きがいが必要です」

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狭く、薄暗い簡宿での独り暮らし。59歳の男性には、涙が止まらない夜がある。

「ふいに、女房や子どもたちの顔が浮かんでくるんだ」。電車に揺られ、車窓に流れる北海道の自然に目を細める妻。猪苗代湖の湖畔でバーベキューの肉を頰張る子どもたち。思い出すのは家族4人で過ごした日々だ。どんなに切望しても決して戻ることはない。分かっているからこそ、孤独はさらに深まる。「何でこんな人生になったんだ」。頭から布団を被り、身体を丸め、おえつする。

数年前、自身の境遇を歌にした。10代から20代にかけてのバンド経験を生かし、教会でもらったギターを片手に自作した。曲名は「終わりのない季節」。思い出にすがり、生きる意味を見いだせない。“春”が見えない暮らしを歌う。

ぜんそくを患い、働きたくても働けない。生活保護が頼りの日々。今も布団の中でむせび泣く。これからも涙する夜は続くだろう。それでも、音楽が孤独を和らげ、心の支えとなり、生きる意欲を与えてくれる。

「少しは、前向きに生きようと思えるようになった。音楽で自分の思いを表現できるからね。こいつが生きがいだ」。にんまりと笑いながら、傍らのギターをぽんと叩(たた)き、曲の最後のフレーズを口ずさんだ。

〈希望が湧いて出た 夢と希望は 終わりのない楽園〉

【神奈川新聞】

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