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よみがえれ鉄路 三陸の鉄道の今〈上〉、「じぇじぇじぇ」の後で

社会 | 神奈川新聞 | 2014年2月14日(金) 12:04

山田線の不通を告げるJR釜石駅改札口の表示板
山田線の不通を告げるJR釜石駅改札口の表示板

東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県の第三セクター・三陸鉄道(三鉄、本社・宮古市)が、この4月に107・6キロの全線で運行を再開する。NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台として知られる「復興の象徴」だ。しかしながら、三陸地方の鉄路が全て元通りになるわけではない。JRのローカル線はいまだ150キロ以上にわたり不通で、復旧の見通しは不透明だ。身近な移動手段が再びつながる日は来るのか。

■あまちゃん効果

驚きを表す方言「じぇじぇじぇ」を染め抜いた手拭い、郷土料理の「まめぶ汁」、地元で産出される琥珀(こはく)の工芸品…。昨年放映された「あまちゃん」の世界が、駅や沿線にあふれている。劇中で「北三陸鉄道」の北三陸駅、袖ケ浜駅として描かれた久慈駅、堀内(ほりない)駅をはじめ、ロケ地を巡るファンは今も多い。

「観光客が大きく増えた。昨年の春の大型連休や夏休みは特にすごかった」。三鉄の冨手淳・旅客サービス部長は話す。北リアス線の久慈-田野畑間の乗客は、前年比4割増に。震災で不通となっている田野畑-小本間(10・5キロ)や、南リアス線の復旧工事は順調に進み、試運転の秒読み段階までこぎ着けた。4月の全通で「あまちゃん効果」が全線に波及する、との期待は大きい。「つながれば宮古まで乗ってくれる人が増えるだろう」(冨手部長)

■熱意が共感呼ぶ

三鉄を応援する輪は全国に広がっている。全国の鉄道会社が三鉄グッズの販売に協力し、横浜でも2012年11月、地元の鉄道ファンらによって応援シンポジウムが開かれた。三鉄の熱意が共感を呼んだのだ。

熱意とは、震災のわずか5日後に被害の少ない区間で運行を再開したこと、しかも「被災者の足を確保しよう」と運賃を無料にしたこと。日常を取り戻すかのように走る三鉄の姿は住民を勇気づけ、列車に手を振る人もいたという。

そもそも、三鉄は「悲願90年」と待望されて誕生した。1896(明治29)年の「明治三陸大津波」をきっかけに沿岸部の輸送路の必要性が叫ばれたのが発端だった。

84年の開業時、宮古駅前に建立された記念碑には「この鉄路こそは沿岸住民の生活 経済 文化の動脈たり」との力強い言葉が刻まれている。

■全通後も厳しさ

だが、全線が復旧しても三鉄の経営は困難が予想されている。津波で市街地が流失し、沿線人口が激減。収入の柱の一つだった高校生の通学利用も少子化で減り続けている。「利用者は甘く見積もっても、震災前より1割は減るだろう」と冨手部長は推測する。

既にワンマン運転や駅の無人化など、コスト削減の手は尽くしている。橋やトンネルなどの施設維持を県や市町村が担い、三鉄は列車運行に専念する「上下分離方式」も導入した。町役場支所などの公共施設を小本駅に合築する岩泉町や、市役所を宮古駅近くに移転させる構想のある宮古市など、町ぐるみで利用促進の取り組みは進む。

それでも車社会や少子化の影響は避けがたい。冨手部長は「これからも、駅中心の街づくりを沿線にお願いしていく」と話す。

■JRは今も不通

三鉄にとってもう一つの懸念材料は、北リアス線と南リアス線とをつなぐJR山田線(宮古-釜石間55・4キロ)の今後だ。震災から3年近くが経過した今も復旧工事は着手されず、赤さびたレールが途切れ途切れに残る。真新しい路盤が築かれた三鉄とは対照的に見える。冨手部長は「間がつながらなくては観光にも影響がある」と気をもむ。

JR東日本は、三陸地方の鉄道復旧に消極的だった。震災直後の2011年4月、当時の清野智社長は山田線を含む被災7路線について「責任を持って復旧させる」と明言。しかしその後、赤字であることや、地域の復興計画が未確定であることを理由に、同社の見解は「復旧しても利用者が戻るかどうか分からない」とトーンダウンした。

三鉄とJRの姿勢の違いは、災害復旧の制度にも起因する。赤字経営の三鉄には国や地方自治体が復旧費を支援する枠組みがあるのに対し、黒字会社のJRは対象外。「利用者にとっては、経営者が誰かは関係ないのに」と、地元からもどかしさも聞かれる。

そこへ降って湧いたのが、今年1月のJRからの提案だった。「140億円をかけて自力で復旧する代わりに、その後の運営は三鉄に移管する」。地元と三鉄は決断を迫られた。

◆三陸鉄道 岩手県北部の久慈-宮古間の北リアス線(71キロ)と、南部の釜石-盛間の南リアス線(36・6キロ)からなる第三セクター鉄道。1981年に岩手県や沿線自治体などの出資で会社を設立し、国鉄再建の絡みで廃線指定を受けた久慈線、宮古線、盛線を引き継ぐとともに、建設中だった区間を完成させて84年に開通した。震災では両線の駅や橋、路盤など計317カ所が破壊され、復旧のため国費など約92億円が投入された。

【神奈川新聞】

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