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平和つなぐ 戦後75年
鎌倉で「原爆と人間展」 手記や絵画で平和への思い継承

社会 | 神奈川新聞 | 2020年8月13日(木) 11:37

 原爆の恐ろしさと平和の尊さを伝える「原爆と人間展」が14日まで、JR鎌倉駅地下道ギャラリーで開かれている。昨年97歳で亡くなった鎌倉市の挿画家・植木金矢さんが被爆者の証言を基に描いた絵や、県内被爆者の手記や絵画など計24点が並ぶ。コロナ禍で講話や追悼行事の中止や縮小が相次ぐ中、主催する鎌倉市被爆者の会は「二度と世界で戦争が起きぬよう、その恐ろしさを伝え続けなければ」との思いを強くする。


展示を前に、「多くの人に足を止めてもらえたら」と願う網崎さん=鎌倉駅地下道ギャラリー
展示を前に、「多くの人に足を止めてもらえたら」と願う網崎さん=鎌倉駅地下道ギャラリー

 「一瞬の閃光浴びて 母さんと 抱きつく子等の 顔は爛(ただ)れて」「翌朝の明かりの中で 幼な子は 母に抱かれて 息絶えており」─。地下道に並ぶのは、原爆で傷つき苦しめられたヒロシマやナガサキを描いた植木さんの絵の数々。惨禍を伝える短歌などが添えられ、「黒い雨」を描いた作品には「私たちは悲惨な原爆被害者の犠牲の上に生かされていることを忘れてはなるまい」とつづられている。

 漫画誌に連載したチャンバラ劇画が人気を集めた植木さんは、数多くの漫画誌に作品を発表。昨年10月に鎌倉の自宅で亡くなるまで、現役として活躍した。

 市被爆者の会会長で、4歳の時に広島で被爆した網崎万喜男さん(79)は植木さんから、入院先の病院で被爆者と出会い、原爆の絵を描き始めたと聞いた。「私は先が短いから、末永く使って」と数年前に植木さんの絵を手渡され、展示を続けている。植木さんは昨年もギャラリーを訪れ「多くの人に見てもらえたら」と願っていたという。

 今回は、20年前に県原爆被災者の会がまとめた画集から、被爆時に4歳だった幼女ら11人が体験を伝えた手記と絵画なども展示。画集は同会などが英訳版を作って国連や米国の学校にも贈呈してきたという。

 網崎さんも仲間と国連を訪れて画集を贈った経験があり、日本の核兵器禁止条約賛同に向けた署名運動にも汗を流す。網崎さんは「世界から核兵器をなくすためにも、その恐ろしさ、平和の尊さを伝え続けたい」と話している。

 
 
 

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