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戦争孤児の涙
四つ葉に願った幸せ(上)出征の夫へ「貴方の妻は私一人」

社会 | 神奈川新聞 | 2020年8月13日(木) 15:00

 戦後75年の夏。戦争孤児として生きてきた池本俊昭さん(75)=横浜市港南区=は、いとおしい母の香りが漂う形見の日記をあらためて読み返した。四つ葉のクローバーに願いを込めた両親の思いを継ぐために。


 〈四つ葉のクローバーの幸福よ…。優しい主人を守って下さいね。無事帰られる日を楽しみにしています〉


池本紀美さんの日記に貼られ、今も鮮やかに残る四つ葉のクローバーの押し花
池本紀美さんの日記に貼られ、今も鮮やかに残る四つ葉のクローバーの押し花

 太平洋戦争末期。出征した夫を待ち続けた女性の日記が、横浜市内に残されている。

 わずか1年4カ月間の結婚生活を過ごし、戦地へ赴いた夫。妻は臨月を迎えていた。幸運を呼ぶとされる四つ葉のクローバーが、2人の心の支えだった。

 日記を記したのは、池本紀美さん。1943年6月、京都の裁判所の裁判官だった俊雄さんと結婚した。

 挙式の直前から続く日記には、兵庫県で暮らした幸せな日々が刻まれている。

「貴方はきっと元気で」

 〈一生懸命探してくださったら、四つ葉のクローバーがあった。嬉(うれ)しい、嬉しい〉

 1944年9月10日。この日のページに残っている押し花は、八代大歳神社(同県姫路市)への参拝後に2人で見つけた四つ葉のクローバー。紀美さんはこの3日前、俊雄さんが召集されることを聞かされていた。

 〈優しい優しい貴方(あなた)はきっときっと元気な顔で帰って来て下さいますのね。嬉しいわ。楽しみにして子供を育てますの。優しい顔の貴方。くれぐれも体には気をつけて下さいね〉


亡き母の形見の日記を手に、戦争孤児として育った生い立ちを語る池本俊昭さん=横浜市中区
亡き母の形見の日記を手に、戦争孤児として育った生い立ちを語る池本俊昭さん=横浜市中区

 〈もう泣かないの。泣きませんわ。貴方の妻は私一人、私の御主人は何時(いつ)の世にも貴方御一人です。神様、仏様、どうぞ大切な大切な御主人を御守り下さいませ〉

 夫への愛情を長文でつづった約3週間後の10月2日未明、俊雄さんは身重の妻に見送られて出征した。

 紀美さんが出産したのは、その19日後。800匁(もんめ)=約3千グラム=の元気な男の子だった。

 名前は「俊昭」に決めた。クローバーを摘んだ日に俊雄さんが、男の子なら「俊昭」、女の子なら「美智子」と考えてくれていた。

 しかし、2人は二度と会うことはなかった。

 俊雄さんは沖縄で戦死。紀美さんは、その半年後に病死した。それぞれ31歳、24歳の若さでこの世を去った。


平和つなぐ 戦後75年 戦争孤児の涙四つ葉に願った幸せ(下)覚悟していた…でも運命はひどい

2020年08月13日 15:00

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