
幕末のペリー艦隊来航時に黒船へ乗り込んで米側との折衝にあたった浦賀奉行所与力、中島三郎助(1821~69年)をしのぶ「中島三郎助まつり」が26日、横須賀市浦賀の住友重機械工業機関工場内で開かれた。地元住民らでつくる「中島三郎助と遊ぶ会」の主催で、三郎助や勝海舟の子孫をはじめ、多くの来場者でにぎわった。
三郎助は日本初の洋式軍艦を浦賀で建造。後に「維新の三傑」の一人と呼ばれる桂小五郎(木戸孝允)に請われ、造船術を教えた。戊辰戦争では、榎本武揚や土方歳三らと箱館(函館)で新政府軍と戦い、2人の息子とともに戦死した。
まつりでは、三郎助の足跡を手紙などの文献や写真でたどるパネル展、日本舞踊、浦賀中学校吹奏楽部の演奏、「想作黒船シチュー」や地元生わかめの販売などが行われた。三郎助のひ孫の中島恒英さん(68)=海老名市=、勝海舟の玄孫の高山みな子さん(51)=鎌倉市=も足を運んだ。
東京都杉並区から訪れ、熱心にメモを取っていた女性会社員は「三郎助が黒船をしっかりリサーチしなければ、日本でつくられたものはもっと遅れていた。こういう方が戊辰戦争で亡くなられて残念。こういう方をもっと取り上げてほしい」。
遊ぶ会の大内透会長(67)は「私は他の街から浦賀に来たが、三郎助が愛したこの地に骨をうずめることを決めた。三郎助は本当にすごい人なので、もっとメジャーにしたい」と話していた。
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