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#あちこちのすずさん
学徒動員で1年生だけの女学校 登校後の日課とは…

社会 | 神奈川新聞 | 2020年8月12日(水) 15:00

(女性、88歳)

 1944年4月、私は私立横浜女子商業に入学しました。校舎は元町の麦田のトンネルの上にあり、磯子の屏風ケ浦から市電で通いました。

 2年生以上は学徒動員で軍需工場へ行っていて、学校には1年生のみ。登校すると、山手の道を外人墓地で折り返してのマラソンをするのが日課でした。

 戻って集合すると、軍刀を腰に下げた教官が壇上にいて、級長の私は「頭中(かしら、なか)」と号令を掛けるのですが、「声が小さい」と何度も怒鳴られてつらかったです。

 警報が出ると授業は中断、下校します。市電は動いています。空襲警報になり、電車から降りて、近くの防空壕に避難したことがありました。

 縁故疎開、学童疎開が始まりました。翌45年4月、私たち一家は母方の祖父の家、埼玉県児玉郡秋平村(現本庄市)へと疎開しました。私の転校した学校は、軍服の縫製工場になっていました。

 近くに児玉飛行場があり、近在の国民学校の5、6年生が、滑走路建設に駆り出されました。妹もその一人。近くの河原から石を拾い、大八車に積んで炎天下、飛行場まで運んでいました。その飛行場は、特攻機の訓練場だったのです。

 横浜大空襲は45年5月29日。そのまま横浜にいて、学校に通っていたら、どうなっていたでしょう。運命というか、生かされた感じがします。


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