開発行為や所有者の負担増などで年々姿を消している身近な「戦争遺跡」。小田原市内でも貴重とされる、機銃掃射の痕が残る橋の一部を活用した民間の記念碑が、引き続き保存されることが分かった。処分の危機を乗り越えてこのほど移設され、関係者は胸をなで下ろしている。
この遺跡は、小田原城址公園(同市城内)近くの老舗建設会社「田中組」が本社ビル前に空襲記念碑として説明板を取り付けて設置していたもの。高さ約1・5メートル、幅約2メートルの鋼板中央部分に数センチの穴が残っている。
聞き取り調査した「戦時下の小田原地方を記録する会」の資料などによると、設置したのは2代目社長を務めた田中喜一郎さん(故人)。橋は小田原駅の西側にあった「青橋」で、穴は終戦直前の1945年8月、小田原駅を狙った米軍艦載機が機銃掃射した際の弾痕と確認された。
戦後、青橋の改修でスクラップにされる予定だったが、工事を請け負い、この空襲の体験者でもあった田中さんが「もったいない。誰が見ても空襲のことが分かるようにしたい」と譲り受け、記念碑にした。
その田中組が2011年7月、長期不況の影響で民事再生法適用を申請。再建のために本社ビルの社有地を売却、今月6日に同市寿町に事務所を移転、ビルの解体作業がスタート。歴史教育の一環で訪れる学生もおり、関係者らは記念碑の行方を心配していたが、移転先で保存されていたことが判明した。
同社の渡邉健二社長(40)は「移設費用は掛かったが、記念碑は社の看板でもあり、先代の遺志は守っていきたい。ただ移転先に設置スペースが確保できなければ、処分も考えていた」と話している。
1993年に田中さんにインタビューした記録する会の井上弘さんは「今回は貴重な戦争遺跡が失われず本当によかった。世代交代が進み、所有者の善意によらずとも、保存していく公的支援が必要だ」と指摘している。
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