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戦死の卒業生回顧 小田原高で平和企画展

社会 | 神奈川新聞 | 2016年11月16日(水) 02:00

企画展「戦争と小田原中学」の内容について説明する「樫友会」資料委員会委員長の仮野さん=県立小田原高校の校史展示室
企画展「戦争と小田原中学」の内容について説明する「樫友会」資料委員会委員長の仮野さん=県立小田原高校の校史展示室

 戦死した旧・小田原中学校(現・県立小田原高校)の卒業生117人に焦点を当てた企画展が、小田原市城山の小田原高校南館の校史展示室で開かれている。「笑って死ぬつもりだ」と記された特攻隊員の飛行訓練日誌などの資料や写真を展示。主催する同校同窓会「樫友会」は、「平和の意義をあらためて考える機会になれば」と来場を呼び掛けている。

 戦後70年を迎えた昨年、同じく校史展示施設を持つ横浜平沼と横須賀の県立高校3校が戦後70年展を企画。今年も継続し、小田原高校は卒業生に光を当てた内容に一部を変更した。

 同校の卒業生は1937年から終戦までに、計117人が戦死、または戦病死した。多くが20代だった。

 39年3月に卒業した新井利郎さんは、陸軍特攻第160振武隊に所属した。

 「上御一人(かみごいちにん)ノ御為(おため)又(また)我々ノ親兄弟ノ為我々ハ笑ッテ死ンデ行ク積リデアル」

 日本本土への空襲が激しさを増していた44年12月。新井さんは飛行訓練日誌に、細かな文字でそうしたためていた。「笑って死ぬなんて…、そう教え込まれていた時代ということですよね…」。樫友会資料委員会委員長の仮野慎一さん(55)は気持ちをおもんばかる。

 「我が只(ただ)一人の友を置いて俺は先に行く 淋(さび)しさ此上なし(中略)さらば 死んでから又一緒に散歩する」。親愛の情をノートに走り書きし、同期の友人に手渡した新井さんはその1カ月後の45年6月、鹿児島県の知覧基地から出撃し、慶良間付近の米艦船群に突入、帰らぬ人となった。23歳だった。

 企画展では、新井さんの飛行訓練日誌などをはじめ、日本側の発表に比べて軽微だったとする米軍の神風特攻隊による被害状況、卒業生や教員ら120人の戦没概況などを知ることができる。仮野さんは「特攻隊員を含め、若くして命を落とした戦没者がこの地域にいたという事実を、一人でも多くの人に知ってもらいたい」と話している。

 展示室は毎週火曜の午前10時から午後2時まで一般公開。入場無料。明治30年代から昭和20年代まで使用されていた教材を集めた隣室の教材展示室も見学できる。また、26日土曜も特別公開する。問い合わせは、樫友会電話0465(20)3281(火曜のみ)。

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