(女性、80歳)
越後(新潟県)の山村に生まれた。生後40日ほどで、父は出征し、私が小学生のときに帰還した。
疎開者が増えて、家の蔵も住宅にした。学童も増えて、教室はガタつく木机でいっぱい。教科書も足りないので2人で使った。曲がった鉛筆と消しゴムですぐ破れるノート。それも足りなくて、くじ引きが行われた。
上品な都会っ子は、わんぱくにいじめられて泣いていた。女子はお手玉でよく遊んだが、お手玉やまりつきをするときの歌にも兵隊さんが登場した。
おやつは毎日、お芋。オキナワという黄色くて大きな芋が、量が採れるので流行した。母は蜂蜜状の芋飴をよく作ってくれた。竹串にくるくる巻いて食べる。べっ甲色の芋飴は最高だった。
自分は食べずとも、家族に食べさせるのに必死だった若い母を思う。
ある日、知らない男が来て、私は恥ずかしくて隠れた。
復員してきた父だった。きりっとした足にゲートルがとても美しく巻かれていたのが忘れられない。母は泣いていた。その足に、撃たれて貫通した傷痕がしこりになっていたことを、後で知った。