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~関東大震災90年~ 元禄の教訓(2)
未曽有に学ぶ〈16〉津波(下)◆実相つかめぬ神奈川

社会 | 神奈川新聞 | 2013年12月17日(火) 18:46

東日本大震災を受け、県が鎌倉大仏の脇で実施した津波堆積物調査。痕跡の発見には至らなかった=2011年12月、鎌倉市長谷の高徳院
東日本大震災を受け、県が鎌倉大仏の脇で実施した津波堆積物調査。痕跡の発見には至らなかった=2011年12月、鎌倉市長谷の高徳院

家系のルーツを手繰ろうと菩提(ぼだい)寺を訪ねたのは、20年以上前のことだったと記憶している。故人となった檀家(だんか)の戒名や死亡年月日が記された過去帳を繰り、意外な事実を知る。「先祖3人が元禄の津波で亡くなっている。うち2人は大人の男女、もう1人は子どもだったようだ。家も流されてしまったに違いない」

三浦半島南端の江奈湾沿いに住まいを構える高梨健児(76)=三浦市南下浦町松輪=にとって、それが江戸時代にこの地域を襲った巨大地震との接点だった。

自宅にある位牌(いはい)と同じ戒名が記された過去帳の日付は、旧暦の1703(元禄16)年11月23日。相模湾から房総沖にかけての断層で、1923年9月の関東大震災を上回る規模の元禄関東地震が起きた日付を示していた。

先祖の被災を知るまで津波をあまり意識してこなかった高梨だが、「とにかく高い場所へ逃げるようにしなければ。その時は家を諦めるしかない」。東日本大震災を経て津波のリスクがより一層身近なものになったいま、あらためてかみしめている。

菩提寺の福泉寺は、江奈湾から700メートルほど内陸の高台にある。過去帳に記されている元禄の津波の犠牲者は高梨家の3人を含む16人。住職の鈴木元奘(げんじょう)(69)が言う。「大正の津波はあまり大きくなかったようだが、元禄の津波は江奈湾と東京湾側の大浦海岸の両方から押し寄せてきたらしい」

福泉寺自体も、元禄の津波で流失する憂き目に遭っていた。寺は当時、津波が直撃した大浦海岸沿いに立っていた。その地盤高などを基に津波の状況を推定した建築研究所特別客員研究員の都司嘉宣(66)は「福泉寺付近の津波浸水高は11メートルを超えていたはず。神奈川にとっても、元禄の津波が最大級だったのではないか」とみる。

都司の見方を裏付けるように、地域にはこんな言い伝えが残る。「2方向から押し寄せた津波が集落を挟み撃ちにした」「海に押し流された墓石が海底に沈んでいる」

激しく被災した福泉寺が現在の高台へ移転し、本格的な再建を果たしたのは1世紀以上後の文化年間。この間の寺の状況に関する記録や津波の被害を示す過去帳以外の史料は見つかっておらず、人々の詳しい被災の実態は不明なままだ。

江戸幕府の直轄領だったため記録が比較的そろっている古都鎌倉でも、津波の実像には容易に迫れない。

〈あら井圓應(えんのう)寺ゑんま堂大破いたし候〉

公家の日記「基熈(もとひろ)公記」は円応寺が津波で大破したと伝える。別の古文書にも、寺が壊滅的な被害を受け、住めなくなったことを示す記述があるため、「円応寺が津波の被害を受けたのは間違いない。問題は当時どこにあったのかだ」と、鎌倉市総合防災課の浪川幹夫(54)。寺は現在、JR北鎌倉駅にほど近い内陸に立地している。

中近世が専門の学芸員でもある浪川は、別の絵図や現在の地形図などを突き合わせ、「当時は材木座の海岸近くにあった」と推定する。

一方で、同じ材木座に立つ光明寺についても、「基熈公記」に「津波入」と書かれていた。だが「現存する本堂は地震の5年前、1698(元禄11)年5月の建立。津波が寺まで及んだとしても、本堂を流失させるほど高くはなかった」と浪川。微妙に異なる二つの寺の被災状況を照らし合わせ、「材木座を襲った津波の到達高は6~7メートルで、局所的には関東大震災の時より高かったのではないか」と分析する。ただ「当時の海岸線の位置や地形は今とは違う。全体的な状況まではつかめない」という。

土地のリスクを知り、備えにつなげる上でも解明が待たれる歴史上の津波。東日本大震災を経て全国的な関心事になったが、現代のような波高の観測データはないため、難しさも付きまとう。特に元禄の津波については、犠牲者が多く史料も豊富な千葉と異なり、神奈川は手掛かりが限られている。

そのため、土地に刻まれた痕跡から過去の地震や津波に迫る手法に注目が集まるものの、成果は思わしくない。県温泉地学研究所が少ない史料や伝承を基に鎌倉や三浦で進める津波堆積物調査も発見には至っておらず、主任研究員の萬年一剛(42)は「沿岸部の開発によって地層が荒らされており、調査適地が少ない」と難しさを認める。

鎌倉・由比ケ浜の遺跡発掘現場では震災後、砂丘の斜面を覆った堆積物が見つかり、元禄の津波によるものと萬年たちが注目。だが、堆積状況の不自然さなどを指摘する声もあり、結論は持ち越されている。

実相を求め、「何とか糸口を見つけたい」と模索を続ける萬年たちはきょう17日から、鎌倉での掘削調査を再開する。

=敬称略

【神奈川新聞】


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