1. ホーム
  2. ニュース
  3. 社会
  4. 物のない時代 子どもたちの遊びとは…

#あちこちのすずさん
物のない時代 子どもたちの遊びとは…

社会 | 神奈川新聞 | 2020年7月30日(木) 11:01

(女性、80歳)

 私は横浜生まれの横浜育ち。4人姉妹の一番末で、当時4歳だった。

 朝起きると、母から「アメリカ兵が日本を襲う、敵機来襲がいつ来るか分からないから」と、お弁当と水筒を背負わされる毎日だった。

 昭和20年5月29日、午前10時すぎにわが家の上空をB29が旋回すると同時に焼夷弾を落とされ、あっという間に周囲は全焼した。

 親戚を頼ってしばらくの間借り生活の後、父の知人の紹介で磯子区に転居。近くに美空ひばりの家があった。それは屋根なし市場の魚屋で、母は毎日、魚を買い求めていたが、ひばりは東京の歌謡教室に出掛けていたそうだ。

 食物が足りず、全て政府から配給制度。米穀通帳を持参しなければお米も購入できず、パンも配給券を持参して並んで購入した。

 物がないのでご近所からお裾分けを頂いた。リヤカーを引いて朝から豆腐屋や納豆売りが来るので、一つの納豆を家族みんなで食べた。甘いものがなくて、新聞紙にお砂糖を少しもらってなめた。おやつといえば、来る日も来る日もサツマイモばかりだった。

 子どもたちは遊ぶものがないので、来る日も来る日も家の周りを駆けっこばかり。おかげで足は速くなり、運動大好きだった。


平和つなぐ 空襲75年横浜遺族会、2021年4月解散へ 高齢化で「一区切り」

2020年05月30日 05:00

戦後75年#あちこちのすずさん あの日々の記憶

2020年08月21日 15:00

あちこちのすずさんに関するその他のニュース

社会に関するその他のニュース

PR
PR
PR

[[ item.field_textarea_subtitle ]][[item.title]]

アクセスランキング