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平和つなぐ
白梅の記(中) 壕に響く最期の声

社会 | 神奈川新聞 | 2020年7月26日(日) 12:00

「白梅学徒隊」として戦場に駆り出された沖縄県立第二高等女学校4年の女学生(静子さん提供)
「白梅学徒隊」として戦場に駆り出された沖縄県立第二高等女学校4年の女学生(静子さん提供)

 「白梅(しらうめ)学徒隊」に所属する従軍補助看護師として、諸見里(もろみさと)(旧姓・稲嶺)静子さん(92)=横浜市鶴見区=が配属された陸軍第24師団第一野戦病院壕(ごう)では、水くみも命懸けの作業だった。周囲に高い建物がなく、外に出れば、米軍から丸見えに近かった。

 機銃掃射などによる米軍の攻撃は苛烈を極めた。「本当に、目の前を弾が飛んでいった。あまりにひどい時は、そばにあったサトウキビ畑に隠れた」。攻撃がやむ夜間、闇に紛れ、慌てて水くみに行った。

 いつも空腹に悩まされた。出される食事は消化の悪い雑穀と薄いみそ汁のみ。痩せ細り、生理が止まった。学徒隊の友人に相談すると、皆同じだった。

 苦痛に身もだえ、家族の名を叫ぶ負傷兵の大声が壕内に響いたこともあった。「最後に『天皇万歳』なんて言葉は出ない。『花1輪でも母にささげたい』と言っていた人もいた」。お国のため、天皇のためとすり込まれても、最期が近づく兵士の胸に去来するのは、家族のことだった。

 配属から約3カ月後の1945年6月4日。野戦病院壕がさらに本島南部に撤退することになり、学徒隊は突如、解散を告げられた。「口減らしだったかもしれない」。静子さんは当時をそう振り返る。「自分の身の安全を守れ」と言い渡され、46人の隊員は戦場に放り出された。

 負傷兵を置いて自分たちだけが逃げるのは気が引けた。「私たちは死ぬ覚悟ができています」。そう伝えると、兵士から「学生さんたちは国のために生き残ってほしい」と言われた。壕を立ち去ろうとした、その時。「パン」。壕内に銃声が響いた。

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