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横浜・米軍機墜落36年
終わらぬ不条理(下)安保の代償「何も変わっていない」

社会 | 神奈川新聞 | 2013年10月3日(木) 17:44

 「でも、何も変わってない」。横浜市北部の宅地に米軍偵察機が墜落して36年、事故の巻き添えになり、妹の和枝と幼いおい2人を亡くした土志田隆(64)=同市青葉区=はこぼす。「この状況を和枝たちが見たら悲しむだろう。彼女たちの死はまったく教訓になっていない」

 2004年8月、36年前の記憶を呼び起こした沖縄でのヘリ墜落事故。米軍は沖縄国際大の現場を封鎖し、黒焦げの機体を運び出すまで警察、自治体、学校関係者は立ち入ることができなかった。

 日本側が原因を調べることはできず、したがって責任の追及のしようがなく、政府も手を尽くそうとせず、日米地位協定も日米安保条約も微動だにしない。

 在日米海軍厚木基地は市街地の真ん中にあり続け、安全性が不安視される新型輸送機MV22オスプレイの飛来の可能性も指摘されている。

  ■■

 沖縄国際大の墜落現場に、椎葉寅生(74)=同市緑区=と妻悦子(71)の姿があった。

 椎葉も36年前の事故で家を焼かれ、悦子は全身に大やけどを負っていた。かつての裁判闘争の支援者の誘いで足を運んでいた。

 校舎の外壁には焼け焦げた跡が残っていた。

 悦子は泣いた。

 椎葉が振り返る。「すぐ近くの家に、生まれたばかりの赤ちゃんが寝ていたと現地の人から聞いてね。わんわんと泣いていた」

 居合わせた新聞記者に袖をまくり上げ、左腕に残るやけどの痕をあらわにした。悦子が傷痕を人前にさらしたことはない。家族のうちでも事故のことを話題にすることはなかった。

 椎葉が妻の心の動きを推し量る。

 「米軍のせいで自分はこんな傷を負ってしまった、と伝えたかったのだろう。涙を流したことで、感情を閉じ込めてきたふたが外れたのではないか」

 30年近く表に出せなかった怒り、悔しさ、みじめさ-。

 横浜に戻ると悦子は再び口を閉ざすようになった。

  ■■

 基地が存在している以上、米兵による事故や事件の可能性は消せない。再発を防ぐには米軍基地も、日米安保条約もいらない-。

 聴衆を前に椎葉は悦子の思いとともに語る。背後には、犠牲となった土志田和枝さん親子を悼む「平和の母子像」。墜落事故があった9月27日に開かれている集会に今年も足を運んだ。


平和の母子像前で訴える椎葉寅生さん=横須賀市長沢
平和の母子像前で訴える椎葉寅生さん=横須賀市長沢

 3年前に脳卒中で倒れながら、語り部として人前に立ち続ける椎葉を支える、人知れぬ出会いがあった。

 30年ほど前。損害賠償を求める民事訴訟を控え、街中でビラを配っていると肩をたたかれた。

 「国は必ず金で解決しようとする。だまされるなよ」

 1964年、大和市内に米軍機が墜落した事故の被害者だった。経営する鉄工所で働いていた息子と従業員計5人を亡くした館野正盛。補償金をめぐって納得がいかないまま国と和解し、結局、工場の再建はかなわず、家族も離散するという悲運をたどった。

 同じ目に遭ってほしくないと声を掛けた館野。椎葉も同じ思いを抱くようになった。

 2006年、横須賀市でともに暮らしていた女性を米兵に殺された山崎正則を訪ね、「裁判をやるなら勝たなきゃ意味がない。勝つためには多くの人に協力してもらわないといけない」。民事訴訟を起こした山崎に助言した。

  ■■

 被害者にしか分からない、うち続く苦しみがある。いや、被害者でなければ分かり合えないのか。

 「米軍や日本政府が私たちにした仕打ちを決して忘れない。『くそったれ』って思っている」。椎葉は続けた。「あんなことは二度とあってはいけない」

 椎葉の、そしてすべての人々の頭上に、きょうもジェット機の騒音が降り注ぐ。

 その耳は、いつしか米軍機か否かを聞き分けられるようになっていた。

 「また来た」

 悦子は決まって小さくつぶやき、体を硬くするのだという。「忘れたくても、忘れられない」

 =敬称略

◆記者の視点-もやもやしてほしい

 「私が話した言葉があなたの心を打つことができれば、たくさんの読者の心を打つものが書けると思う」。記者の目をじっと見据えた椎葉寅生さんの表情が頭を離れない。

 米軍機墜落事故で傷つき、その後の人生を狂わされた被害者の思いをどこまで受け止められるだろう。汗が止まらなかった。

 記者6年目。事件事故の取材を振り出しに、防災担当として東日本大震災の被災地にも足を運んできた。大切な人を失った悲しみに触れてきたつもりだが、今回の取材ではこれまでにない感情が湧いてきた。

 4年4カ月の療養の末に亡くなった土志田和枝さんの手記を読み、無性にイライラした。椎葉さんや和枝さんの兄隆さんが静かに当時を振り返るのを聞き、いたずらに相づちを打つのもはばかられた。「どう考えたって理不尽」。取材の帰り道や休日もふとした瞬間に、もやもやとした思いが浮かんだ。

 事故の当事者である米兵パイロットはおとがめなしで帰国していった。なぜ墜落したのか、誰の責任なのか、調査と追及に国は手を尽くそうとしない。

 一方で、防衛という大義の前に思考が停止しそうになる。隆さんが言ったように、私たちは「砂山の中の一粒の砂」にすぎないのかもしれないとも感じた。

 だが、そうだろうか。誤解を恐れずに言えば、地震や津波なら国を挙げた対策が進む。災害から命を守ることに異を唱える人はいないからだ。では、米軍による事件や事故は-。

 長年の日米関係を改めるのは簡単ではないだろう。記者もまだ答えを見つけられずにいる。同じ被害者でも意見は異なる。隆さんは不平等な地位協定の改正を望むが、「日本の安全のために安保条約は必要」。椎葉さんは「基地も安保もなくなってほしい」。いずれにも賛否両論はあろう。だが、この問題に向き合ってきたからこその言葉には重みがあるし、理想を語る権利もあると思う。

 その言葉をできるだけ多く記事にしたかった。読者にももやもやしてほしかった。もやもやするということはつまり、考え始めることだ。

 その材料をもう一つだけ示しておきたい。

 県基地対策課によると、日本が独立を果たした1952年から昨年までに県内で起きた墜落や落下物などの米軍機事故は223件。死者11人、負傷者28人。

 少ない数ではない、と私は思う。

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