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やまゆり園事件4年
森炎さんと考える死刑(1) 自らの死を死ぬ刑罰

社会 | 神奈川新聞 | 2020年7月24日(金) 09:24

 やまゆり園事件から26日で4年。3月の裁判員裁判で死刑判決が言い渡された植松聖死刑囚(30)は、弁護人の控訴を自ら取り下げて死刑を確定させた。その心境を「安楽死する人の気持ち」と4月の接見取材で明かし、「生きるに値しない」とみなして殺傷した重度障害者の境遇と重ね合わせた。パラドックスをはらみ得る彼の死刑は、いかにして肯定されるのか。元裁判官の森炎さん(61)と考える。4回連載。

 ──「生きるに値しない」とみなした殺人をどう考えますか。


森炎さん
森炎さん

 「その考え方自体が、人間の尊厳に反しています。人間の尊厳は、重度知的障害者であろうと精神障害者であろうと、誰であろうと等しく認められるものです。それはなぜかと言えば、人間の尊厳とは、法的な制度でも社会的な制度でもなく、ひとえに人間が動物と区別されるがゆえに、人間、つまり人類に自然的に観念されるものだからです。人類も一つの動物種であることには変わりありませんが、人間は、自らが人間たり得るために、過去の進化のある時点で、自然としての動物的本能・動物的欲望に対して無理に宣戦布告したと言われます。人間の尊厳とは、人間が自分自身に目を見開き、人間として生きていく苦悩を自ら引き受けた、実に、そのこと自体を指しています。動物的本能・動物的欲望を第一の自然とすれば、人間の尊厳は第二の自然だといえます」

 「また、人間の尊厳の内容は、具体的には、『動物のように生きてはならない』ことであると言われますが、それは、決して知能や能力を指しているわけではありません。獣欲、肉欲、原始的支配欲などの動物的な欲望のままに生きてはならないこと、自分だけが他者の尊厳を踏みにじって生きるようなことをしてはならないことを指します。ですから、『障害者は生きるに値しない』という犯人の考え方は、障害者の人間の尊厳を否定するものであり、その行為は、殺人の中でも人間の尊厳を踏みにじるひどい殺人だったということになります」

 ──森さんが、死刑はやむを得ないと考えるのはなぜですか。

 「『生きるに値しない生命』の抹殺という考え方は、人間の間に、『生きるに値する/値しない』という切断線を引くものです。この場合の死刑は、その『人間の切断線』をつなぎ戻すという意味を持っています。『生きるに値しない生命』と『生きるに値する生命』に分断された人間存在を『死において重なる存在』として、互いに重なり合う存在へと修復し直すものです」

 「もし、この場合に死刑がないとすれば、障害者は『生きるに値しない』として殺され、その考えのもとに生命を奪った側は、そのまま生きることになります。この事件の犯人が頭の中で描いた世界が、そのまま現実のものとなってしまいます。死刑以外の刑罰では、たとえ、終身刑であっても、そういった背理を招くことになります。他者を生きるに値しないとして抹殺した者を終身刑にして、その生を一生涯、国家予算で保障することは、『生きるに値しない/値する』という人間の切断線の促進でしかありません」

 「現在日本は、殺人既遂事件の1~2%(※1)しか死刑にはならない典型的な例外的死刑制度を取っていますが、その『例外』に当たると判断するほかない事件でした」

 ──死刑によって解決される問題でしょうか。

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