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津波が600メートル内陸に、県温地研が郷土史分析/神奈川

社会 | 神奈川新聞 | 2013年9月25日(水) 23:17

関東大震災で津波が押し寄せた後の鎌倉・由比ガ浜。家屋などが流失し、漁船が打ち上げられた(鎌倉市中央図書館提供)
関東大震災で津波が押し寄せた後の鎌倉・由比ガ浜。家屋などが流失し、漁船が打ち上げられた(鎌倉市中央図書館提供)

1923年9月の関東大震災で相模湾沿岸に押し寄せた津波は、鎌倉や逗子で約200~600メートル内陸まで及んでいたことが、県温泉地学研究所の調査で分かった。藤沢では川を遡上(そじょう)した津波が1キロほど内陸の地点で堤防からあふれ、浸水していたことも判明。これらの状況から、沿岸部の津波の高さはおおむね5~7メートルだったと推定している。萬年一剛主任研究員は「90年前の津波は東日本大震災のような巨大津波ではないが、震源が近いため短時間で到達した」と指摘。再来に備えるためにも迅速な避難が不可欠と警鐘を鳴らしている。

相模湾などを震源域とするマグニチュード(M)7・9の関東大震災では、火災を主因として10万5千人余りが犠牲になった。このうち津波による死者は200~300人とされ、鎌倉とその周辺は波高が高かったと報告されているが、津波の挙動や被害の全容は分かっていない。

その解明に向け萬年研究員は、局所的な被害状況を詳しく書き留めた郷土史や被災者らの手記に着目。記された被害現場の現在の位置を割り出し、その標高や周辺の地形と照らし合わせる手法で津波の到達点や波高を算出した。

逗子については、津波の来襲状況に関する証言を数多く載せた郷土史「関東大震災と逗子」をベースにした。

「七〇~八〇センチの高さに津波がどっと来た。家の中に川舟が道を越えて入って来た」「大波がやって来て、予の家の入口にある、大松の傍らまで、大なる舟を持ちあげて来た」といった記述を分析。田越川流域では海から直接浸水した津波が少なくとも海岸から約600メートルの地点まで、小坪川流域は200メートルほど内陸まで浸水したことが判明した。

鎌倉・由比ガ浜付近を流れる稲瀬川の流域は沿岸部のホテルなどが軒並み流失した写真が残っており、江ノ電の線路付近の約300メートル内陸まで津波が及んでいた。海岸から200メートルほどの地点まで津波が至った材木座の豆腐川流域では、河口付近の旅館が流失したとの記録から、一部でより高い津波が押し寄せた可能性があるとみている。

このほか、川をさかのぼった津波が堤防からあふれた場所も明らかになった。

鎌倉の滑川は、川沿いの住まいから避難する途中に津波に流された男性に関する手記などがあり、海岸から約500メートル付近に浸水した場所があることを確認。藤沢の境川や引地川では、津波に流された船が橋に引っかかったり、水田に流れ着いたりしたとする郷土史家の記録や古老の証言を掘り起こし、境川で河口から直線で1キロほど、引地川で約700メートルの地点で浸水していたことを突き止めた。

郷土史などに記述された津波の到達時間は、5分後や30分後などと証言によって食い違っていたが、「短時間で押し寄せたことは間違いない。鎌倉では局所的に波高が9メートルに達した可能性もある」と萬年研究員。東日本大震災を受けた県の新たな津波想定では、静岡以西の南海トラフなどを震源とする「慶長型地震」が起きた場合、約1時間20分後に鎌倉で14・5メートル、逗子に13・6メートルの最大波を予想しているが、「まずは関東大震災級の津波からどう命を守るかを前提に、避難のあり方や対策を考えるべきだ」と強調している。

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