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66年ぶりの疎開先へ パラグアイ駐日大使の豊歳さんが“母校”の串川小を訪問/相模原

社会 | 神奈川新聞 | 2013年9月9日(月) 23:30

旧串川村疎開当時の同級生と歓談するパラグアイの豊歳駐日大使(中央)=相模原市緑区の市立串川小学校
旧串川村疎開当時の同級生と歓談するパラグアイの豊歳駐日大使(中央)=相模原市緑区の市立串川小学校

戦時中、旧津久井郡串川村(現・相模原市緑区)に疎開していた南米パラグアイの豊歳(とよとし)直之駐日大使(77)が9日、“母校”の市立串川小学校(緑区長竹)を訪れた。村立中央国民学校当時の同級生らと66年ぶりの再会を果たしたほか、在校生の子どもたちからも合唱や踊りで歓迎を受けた。

豊歳さんが家族とともに疎開したのは、3年生だった1944年ごろ。東京都渋谷区から串川村に移り住み、ここで終戦を迎えた。47年ごろまでの3年間を過ごした。大学卒業後、国内の会社に2年間勤めたが、「もっと広い国に行ってみよう」と60年にアルゼンチンへ渡った。その後69年に、隣国のパラグアイへ移住、同国籍を取得した。

駐日大使には2009年就任。「ことしに入り、時間的な余裕ができた。ぜひ思い出のある小学校を訪問したい」と、7月に学校へ連絡、同級生のとりまとめ役を長く担っていた門倉昭夫さん(77)が仲間を集めた。

学校では、地元で暮らす同級生6人と再会。国民学校当時のアルバム写真を持参した門倉さんから「面影がある。すぐに分かった」と言われ、思いは一気に当時へ。

豊歳さんは「方言に苦労した。覚えるまで仲間に入れてもらえなかった」「食糧難の時代で、考えるのは食べることばかり。ありったけのおもちゃとおにぎりを物々交換した」など、思い出話が尽きなかった。

在校生による歓迎会も開かれ、「当時は畑や山しかなかった。いまは景色がだいぶ変わって驚いている。アケビを採ったり、川でアユを釣った」など、楽しい思い出を紹介。子どもたちからソーラン節や合唱などを披露されると、目を細めていた。

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