
相模原市緑区の津久井湖にこの夏、屋形船がお目見えした。貸しボート業を手掛ける津久井観光(同区三井)がまちおこしに一役買いたいと始めたものだ。「八幸(はちこう)丸」と名付けられた船には、湖の看板犬として愛された「ハチ」への感謝と、地域の人々を結んできた役目を託していきたいとの思いが込められている。
4月20日夜、湖畔の事務所でハチの最期をみとった同社代表の関義昭さんはつぶやいた。
「ちゃんと見届けてくれたんだな」
息を引き取ったのは、待望の屋形船が運ばれてきた6時間後のことだった。
幸せをみんなに運ぶ存在であってほしい-。八幸丸の名に重ね合わせるのは、愛犬の在りし日の姿だ。
ラブラドルとテリアのミックス犬、黒毛のハチは「みんなのアイドル」だった。人懐こくていたずら好き。釣り客の靴をくわえて走り去り、湖に飛び込んではコイやブラックバスを捕ってきて、地元の小中学生を驚かせた。
「ハチが出会いを運んできてくれた」。関さんは実感を込め、そう振り返る。
国会議員の元秘書だった。議員の政界引退を機に、妻の正子さんが継いだ家業の道に進んだ。都内から湖畔の町に移り住み、慣れない土地、畑違いの仕事に戸惑うことも少なくなかった。「自分はよそ者だった」
癒やしになったのが、転居から4年ほどたった2004年に譲り受けたハチだった。散歩の途中、地域の人たちと会話を交わすことが増え、放し飼いにしていたハチと遊ぶため、子どもたちが放課後に集まってくるようになった。
その胸にやがて町への愛着が芽生える。ワカサギやバス釣りで知られる津久井湖だが、同じ県央地域でも、雄大な景色が楽しめる宮ケ瀬湖やレジャー施設が近くにある相模湖ほどは親しまれていない。
思い付いたのが屋形船だった。「自然に囲まれた町の魅力を広く知ってもらいたい。屋形船なら一度に大勢が乗れるし、地元の料理を出せば特産品の宣伝にもなるはずだ」
東京・浅草の老舗料亭から船を買い受けた。ちょうちんに名前を入れる形でスポンサーを募ると、地元の印刷会社など12の企業や個人が名乗り出てくれた。津久井商工会も「地域経済の活性化に波及効果が広がれば」と期待を寄せる。
料理は地元の割烹料理の4店に頼み、メニューには特産のアユの一夜干しや地酒「彩」が並ぶ。冬はワカサギ料理を出す予定だ。
営業を始めて1カ月後の8月31日夜、お披露目を兼ねて地域住民20人を無料で招待した。「事務所から逃げ出してきて、うちの玄関先で夜を明かしたことがあってね」「一緒に遊んでもらって、うちの子どもはハチに育てられたようなものだ」。心地よい夜風に吹かれ、湖面に笑い声が広がった。
正子さんの表情が緩む。「また一歩、皆さんに受け入れてもらえた気がした」。船頭役を務める関さんがうなずいた。「みんなの笑顔をハチも見守ってくれている」
【】