自衛官、暗闇の集団参拝

漆黒の闇に、海鳴りが響く。ホタルの青白い光が揺らいでいた。
沖縄本島南部、太平洋を見下ろす平和祈念公園(沖縄県糸満市)の摩文仁(まぶに)の丘。沖縄戦終焉(しゅうえん)の地に立つ「黎明(れいめい)之塔」は、付近の壕(ごう)で自決した日本軍第32軍の牛島満司令官らを祀(まつ)る。
6月23日午前4時57分、在沖縄の陸上自衛隊の幹部ら30人ほどが塔の前に姿を現した。献花し、合掌し、黙祷(もくとう)する。無言のまま踵(きびす)を返すと、真っ暗な石段を足早に下り始めた。記者らが後を追う。足元もおぼつかない暗闇の中、幹部は「私的参拝」を強調した。
太平洋戦争末期の沖縄戦。日本軍は首里(那覇市)の司令部陥落後も降伏せずに南へと敗走し、住民を巻き込んだ。戦禍は苛烈を極め、米軍の戦史に「ありったけの地獄を集めた」と刻まれる。全ては本土防衛の時間を稼ぐためであり、「軍隊は住民を守らない」との教訓を今に伝える。
戦後、日本軍とは一線を画して出発したはずの自衛隊が、沖縄戦で日本軍の総責任者だった司令官を顕彰する。とりわけ、75年前に自決したとされる日の同じ時間帯に、制服姿で慰霊塔を集団参拝する。犠牲を強いられた県民感情とは決して相いれず、私的な参拝との主張は無理筋だった。
一行は黙々と歩を進めた。丘の中腹にある国立沖縄戦没者墓苑なども巡り、献花、合掌、黙祷を繰り返す。麓に着くと追悼式の式典会場を横目に、用意した車で走り去った。
この間、わずか20分ほど。空を見上げると、厚い雲に覆われながらも東の空が白んでいた。戦後75年、「慰霊の日」が明けた。
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沖縄戦で亡くなった20万人超を悼む「慰霊の日」から、1週間が過ぎた。75年前に日本軍による組織的抵抗が終わったとされる1日を振り返り、沖縄を巡る「今」を考えた。