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市民が反対 新設断念
横浜市 公営ギャンブル検討の歴史

社会 | 神奈川新聞 | 2018年11月14日(水) 11:08

 カジノを含む統合型リゾート施設(IR)を巡る政府の調査に対して申請を「検討している」と答えた横浜市は1950年代、オートレース場や競艇場といった公営ギャンブルの競技場の新設を検討していた。市や県は準備を進めたものの、いずれの計画も実現性が乏しく、市民の反対もあって断念するに至った。そこから得られる教訓は何か。横浜市史資料室の百瀬敏夫調査研究員が「市史研究」でまとめた論文を基に、当時の神奈川新聞などから読み解いた。


「とかく公営バクチは県政のガンである」と厳しく指摘した1951年12月2日付神奈川新聞「記者の眼」
「とかく公営バクチは県政のガンである」と厳しく指摘した1951年12月2日付神奈川新聞「記者の眼」

 第2次世界大戦後、日本では戦災からの復興支援を主な目的とした公営ギャンブルが開催されるようになり、競馬や競輪、競艇、オートレースといった公営競技場が全国で新設された。

 横浜市内では幕末から43年に休止になるまで根岸競馬場があったほか、戸塚競馬場が33年から54年に廃止されるまで存在した。50年に花月園競輪場が開設され、場外施設を除けば市内で唯一の公営競技場として存続したが、2010年に閉場した。


政財界が陳情


 市内にオートレース場を設けようと政財界が声を上げたのは、オートレースの開催を定める小型自動車競走法が施行された1950年。京浜急行電鉄専務取締役の上田甲午郎氏、元衆院議員佐久間道夫氏、元市議・県議中西誠一氏=いずれも当時=ら有志が鶴見区内にオートレース場を誘致する陳情書を市に提出した。

 当時、オートレースは「財政難にあえぐ地方自治体にとってはありがたいもうけ口」(50年5月3日付本紙)とみられており、有志が鶴見小型自動車競走株式会社(仮称)を設立し、鶴見川沿岸の広大な敷地にオートーレース場を建設するとした。競走路は1周800メートル、スタンドや芝生席で3万人を収容する大規模なものだった。

 同法ではエンジンの気筒容積1500立方センチ以下の2~4輪自動車による競走と規定され、都道府県と京都、大阪、横浜、神戸、名古屋の各市が開催できた。

 同年5月3日付の本紙で「市でも実施するために早急に準備を進めることになった」と報じたが、候補地すら決まらない状態が続いた。8月に県議会経済常任委員会が開かれ、陳情があった鶴見川沿岸のほか▽横須賀市追浜▽多摩川スピードウエイ▽川崎競馬場▽高座郡大和町▽相模大野▽戸塚競馬場-の候補地から無記名投票の結果、川崎市内の多摩川スピードウエイが選ばれ、横浜市と協議して異存がなければ同所に決めるとした(8月13日付本紙)。

 県と市共催でのオートレースの開催に向けて市会や県議会が動き、県は同年度に2回開催する見通しで補正予算を組んだが、場所を巡り市との思惑の食い違いが表面化し、翌51年度になっても開催されることはなかった。

 そもそも開催に至らなかった背景は、同年12月2日付の本紙「記者の眼」に克明に記された。「バクチ行政にはことのほかご熱心な議員諸公に引きずられて今日に至った次第」と、政財界の思惑に振り回された県職員の“ため息”を記者が代弁した。

 その上で「三年越に随分と無駄なエネルギーを浪費したもので、その間利権をめぐっての忌まわしい噂(うわさ)が絶えなかった」とあきれ顔で振り返り、こう言い切った。「いかに貧困財政の穴埋めとはいゝながら、とかく公営バクチは県政のガンである」

次は競艇場を



 「記者の眼」には「オートレースの後には未(いま)だ海のものとも山のものともつかぬボートレースがひかえている」と記されていた。

 市は52年から競艇の開催を探る調査を行っており、54年には市内で二つの競艇場の計画が提出された。

 その一つが、オートーレース場が計画された鶴見川沿岸の土地で、提案した東京の競艇施設会社の計画書には敷地の一部を浚渫(しゅんせつ)して湖とするなどと記されていた。

 一方、鎌倉市が競艇を施行することを市議会で可決したことから、同市が施行者となって横浜市磯子区の杉田沖で開催する計画も出された。

 55年1月7日付の本紙には、競艇場の建設から運営までを担う新会社の設立発起人には元日産重工業社長の箕浦太一氏、読売新聞社主の正力松太郎氏、安藤正純文部相=いずれも当時=など「政財界の大物十五氏がズラリを顔を並べている」と記している。

 記事によると、観覧客スタンドを設けた競艇場のほかにクラブ、ホテル、水族館、遊園地なども造る計画だった。

 本紙の報道で、地元では賛否両論が沸き起こった。漁師らは漁業やノリ養殖に影響するので「絶対反対」を横浜市役所や市会議長に訴えた(56年1月11日付)。他方、賛成する商店街関係者は知事や市長、市会議長に設置促進の陳情を行った(同年2月9日付)。

 結局、鎌倉市長が4月に替わったことから設置されなかった。


競犬場の案も


 48年2月19日付の本紙には、全国に先駆けて横浜市内でドッグレース場の設置計画を報じている。有力者が創立した日本ドッグレース協会が同市港北区の岸根公園総合運動場を市から借り受ける構想で、走路は運動場を利用する。5千人を収容できる観客席をはじめ、斜面を利用して1万5千人を収容できる施設を軸に、キャバレーやレストラン、ホテル、ベビーゴルフ場、プールなどの「国際総合歓楽境」を作るとした。

 国会では「ドッグレース法案(畜犬競技法案)」が審議されたため、法制化に望みを持った市は57年、「これが通過した場合は本市事業の一環として種々検討していきたい」としてニューヨークやロンドン、シドニー、メルボルンの各都市にドッグレース事情を照会していた。

 だが、50年に始まった朝鮮戦争の際、日本の基地から朝鮮半島の戦場に向かう米軍の軍需物資の受注は「朝鮮特需」と呼ばれ、横浜港の輸出も伸びて経済復興につながっていった。52年に日本がIMF(国際通貨基金)に加盟して国際経済に復帰したことも、貿易港を抱える横浜にとって追い風になった。こうして公営ギャンブル熱は冷めていった。


国学院大学名誉教授 横山実さん
国学院大学名誉教授 横山実さん

国学院大学名誉教授 横山実さん
政治的圧力 過去と同じ


 ギャンブル依存症に詳しい国学院大学名誉教授の横山実さんは、横浜市や県がオートレースや競艇など公営ギャンブルの競技場の新設を断念せざるを得なかった背景について「政財界の働き掛けを超える市民の強い反対があり、立ち消えとなった」と分析する。その上で、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)の誘致を巡る最近の動きと重ね合わせ、「政治的圧力で林文子市長は身動きが取れないのかもしれない」と指摘し、世論の動向を注視する。

 日本社会病理学会前会長でもある横山さんは、幼いころは川崎市内に住んでおり、川崎競輪や川崎競馬での賭けに負けた人々が川崎駅まで長い行列を作っていたことを記憶している。

 「横浜市は当時、川崎市と同様に公営ギャンブルで財政面を支えて戦後復興を加速したかったのだろう」と見る。横浜市の場合は公営ギャンブルに依存しなくても貿易の増大によって財政面を支えることができたことを誇るべきだと強調する。

 だからこそ、山下ふ頭の再開発計画は「カジノを利用する客以外の集客が見込めないIRではだめ」。明確に反対姿勢を示す主要な経済団体は横浜港運協会に限られており、横山さんは「導入に向けて政治的圧力があるのは過去の構図と同じ」と指摘。「林市長は、導入への動きを自らの責任で止めることが出来ないのだろう」と分析している。

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