
国内初の洋式灯台「観音埼灯台」(横須賀市鴨居)が今年、1868年の起工から150周年を迎える。灯台は2006年12月を最後にすべて無人となったが、昔は職員が家族と住み込み、船舶の進む暗い航路を24時間、照らし続けていた。元海上保安員で、1980年代に所長として観音埼灯台で働いた古賀貞夫さん(93)=横浜市港南区=が、海の道しるべを守る「守灯精神」で臨んだ日々を振り返った。きょう11月1日は灯台記念日-。
絶海の孤島や人里離れたへき地に建つ灯台。その灯火を守った職員たちの生活は非常に厳しいものだった。
「船の衝突や座礁が起きれば大変なことになる。敷地内の官舎で休んでいても、何かあればすぐ戻らなければならない。四十余年の間、勤務明けに飲みに行くこともなければ、家族旅行もなかった。でも、天から与えられた仕事と思って一生懸命やった」。こう話す古賀さんの、灯台守としての半生は戦争体験から始まる。