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猛雨 東日本はいま(7)生活再建 踏みとどまるために

社会 | 神奈川新聞 | 2018年9月12日(水) 09:20

被災体験を踏まえ、災後の地域のあり方を模索している横田さん =茨城県常総市
被災体験を踏まえ、災後の地域のあり方を模索している横田さん =茨城県常総市

 河川の氾濫による最大級の浸水想定を色分けした洪水ハザードマップを挟み込んだ防災ガイドブック、予想される浸水深(浸水時の水位)の電柱への表示、防災無線の放送内容を確認できる防災アプリ-。

 住民の意識や備えを促すため、水害対策の新たな仕掛けを次々と打ち出している自治体がある。

 「水害はもう起きない、と受け止められることがないようにしなければ。地道な取り組みを重ねるしかない」。危機感をにじませるのは、茨城県常総市防災危機管理課の横島義則課長。他の自治体に先んじた公助の試みは、3年前の苦い経験に基づいたものだ。

 宮城、栃木、茨城の3県で関連死を含め20人が死亡した2015年9月の「関東・東北豪雨」。その象徴となった1級河川・鬼怒川の堤防決壊で、常総市は市域の3分の1に当たる約40平方キロが浸水、流域の家々が水に漬かり、あふれた水が及んだ市役所は孤立した。

 当時の教訓も踏まえ、今年4月に全戸配布したハザードマップは折り畳むとA4判になる。それを一回り大きいガイドブックに挟み込んだのは、「配っても目を向けられずに捨てられてしまいがち」な課題の解決を目指したものだ。横島課長は言う。「あえて書棚からはみ出すサイズにした。そうすれば、ハザードマップのことが目に留まり、手に取って内容を確認してもらえるのではないか」

 一方、防災アプリを入れたスマートフォンには、緊急的な防災無線の内容のみ強制的に通知されるようにする一方、豪雨時に住民の身の回りで起きた浸水や被害を市に報告できる双方向の仕組みにした。ここには公助の役割を十分に果たせなかった市としての反省を生かしている。


風化の現実


 「あの時はとにかく、市役所の電話が鳴りっぱなしになった」。氾濫状況や避難先の確認、不安や不満の声。殺到する電話の応対に職員が追われたことで、緊急時に果たすべき避難対応などの判断や情報の集約が十分になされず、批判を浴びた。

 有識者による検証委員会の報告書は、市の災害対応の不備をいくつも指摘している。〈庁議室での情報収集手段があまりに貧弱すぎた〉〈一自治体だけでは対応しきれない大規模災害発生を想定した十分な受援の準備がなされていなかった〉

 予期せぬ被災から3年。明らかに足りなかった備えは上積みされたものの、横島課長は手応えを感じてはいない。「アプリのダウンロードは今のところ千件程度にとどまっている。ハザードマップに対する反響も特にはない。どうすれば、意識は高まるのだろうか」

 市の人口は現在、6万人余り。「この3年間で大きく減少したわけではない」としながら、被災者支援に取り組むNPO法人「茨城NPOセンター・コモンズ」の横田能洋代表理事(51)=常総市=は、徐々に変わる地元の姿を見つめ続けている。「ボランティアで支援に入り一生懸命泥出しをした家が、いつのまにか更地になっている」

 水害時に市外へ避難し、そのまま移り住んだ被災者は少なくない。自治会などと連携した地域防災の再構築も目指してはいるものの、「最初の1年と、この3年では人々の意識に温度差がある」とも感じている。

 抗(あらが)い難い記憶の風化、人々を結んでいたものがほつれていく災後の日々。そのきっかけは「住民の多くがヘリコプターで救助されたことにある」とみている。



鬼怒川の堤防決壊を後世に伝えるため、現場付近に建てられた決壊跡の碑
鬼怒川の堤防決壊を後世に伝えるため、現場付近に建てられた決壊跡の碑

つなぐ意識


 鬼怒川の決壊時に常総市内で自衛隊や消防のヘリやボートなどで助けられた人は4300人に上る。自宅が浸水することはないと高をくくり、あるいは周囲の危険な状況に気付くのが遅くなり、避難のタイミングを逸した被災者が大半だ。

 助けられた人々はあの日の行動を省みる。「危機感は全然なかった。ハザードマップも見ていなかった」「濁流が押し寄せてきたので逃げようと思ったが、5分ほどで到達し、なすすべはなかった」

 横田代表は言う。「ぎりぎりまで自宅の2階に『垂直避難』し、何も持たないままヘリで救助されると、避難所生活はとても不便。そして最大の問題は、それまでつながりのあった地元の人とばらばらになり、二度と会えなくなってしまうことだ」

 豪雨の再来を想定し、学校と連携した避難訓練や受け入れ態勢の確保に向けた取り組みは「ヘリには二度と乗らない」が合言葉だ。「隣近所で声を掛け合い、まとまって避難する方法を見いだしたい」との模索には、「命だけでなく、地域をつなぐ」視点が災害の直後から欠かせないとの着眼が根底にある。

 「『避難所』という言葉と概念を変えたい。『災害時生活センター』のような名称にして、多様な人々が共同生活を送るとともに、在宅の避難者も訪ねやすい場にできないものか」

 水害の被災地は泥とほこりにまみれ、住民は後片付けに追われる。しかし、泥出しが済めば被害の痕跡は残らず、平穏な日常を取り戻したように映る。

 しかし、「水没した車を手放さなければならなくなり、自宅のリフォームを余儀なくされることの経済的な損失は小さくない」と、自らの被災体験も踏まえ、現実を語る横田代表。今後をこう見据えている。「この地に踏みとどまるということは、再び被災するリスクを受け入れることでもある。そうした決断も含め、常総が学んだ経験を他の豪雨被災地にも伝えていきたい」 =おわり

 
 

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