平和つなぐ 戦後73年の夏
時代の正体〈626〉「戦争の片棒、私も担いだ」 朗読劇に集う(1)湘南音楽院元理事長・芝実生子さん
社会 | 神奈川新聞 | 2018年8月15日(水) 02:00
【時代の正体取材班=松島 佳子】戦時下の旧満州(中国東北部)で生き抜き、俳優として活躍する宝田明さんの半生を描いた朗読劇「宝田明物語」が18日、藤沢市鵠沼東の市民会館大ホールで開催される。敗戦から73年。宝田さんの思いに共感し、舞台を支える戦争体験者たちの思いを聞いた。
7月上旬、藤沢駅からほど近い音楽教室「湘南音楽院」の一室で、同学院元理事長の芝実生子(みおこ)さん(89)=藤沢市=はおもむろに口を開いた。
「当時と今の日本は、似ています」
階下からのピアノ音がかすかに聞こえる室内に、芝さんの声が響く。
「かつて軍国主義に染まったように、今は経済優先に染まっちゃって…。日々の生活、物質的な豊かさには敏感だけれど、政治家の不正やうそには拒否反応がない。国民を欺き続けても、時の政権の支持率は下がらない。怖いですよ」
インタビューが始まったときに浮かべていた微笑は消えていた。
愛国
「模範的な軍国少女」だった。
1929年、藤沢市片瀬に生まれた。その2年後の31年に満州事変が起き、39年には第2次世界大戦が勃発した。幼少期、意味も分からず、手まり歌を口にした。「さっさと逃げるわ、ロシアの兵。死んでも尽くすわ、日本の兵」
入学した片瀬小学校では「あなたの命はあなたのものではない。天皇のもの、国のもの」と教えられた。教室の壁には「善行(ぜんこう)表」が張り出され、国家のためにどれほど良い行いをしたかを毎日、書き込んだ。〈今日、諏訪神社の掃除をしました〉〈昨日、兵隊さんに慰問袋を送りました〉
愛国に燃えた少女はやがて「小さな特高警察」になった。自宅で貴金属を見つけると「供出しないのは非国民」と母をなじり、防火訓練に参加していない近所を見つけると「あの家は怪しい、スパイだ」と言って回った。
41年、乃木高等女学校(現湘南白百合学園)に進学。同年12月に太平洋戦争が勃発すると、政府は次々と法令を発令、中等学校や高等学校の学生も勤労学徒となった。
芝さん自身も、4年生となった44年4月から藤沢駅にほど近い「東京螺子(らし)工場」に配属され、旋盤で戦闘機のねじを作った。間もなくして戦況が悪化。本土決戦に備えるよう呼び掛けられると、工具を竹やりに持ち替えた。
「死ぬのは怖くなかった。むしろ、国家に期待されている通りに生きていることが誇らしかった」
45年8月15日、16歳で敗戦を迎えるまで、気持ちが揺らぐことはなかった。