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やまゆり園事件2年
怖いのは病より社会…それでも人を信じたい 元患者の思い

社会 | 神奈川新聞 | 2018年7月31日(火) 10:32

【時代の正体取材班=田中 大樹】気温33度。酷暑の日差しが肌を刺す。アスファルトの照り返しがまぶしい。

 7月中旬、横浜・関内駅近くで元ハンセン病患者の石山春平(はるへい)さん(82)=川崎市宮前区=と落ち合った。噴き出る汗をぬぐい、石山さんはほほ笑んだ。

 「老体にこの暑さはこたえます。でも心地よい。陽の光を浴びながら歩けるんですから」

教師は「二度と来るな」


差別に苦しみながらも「それでも人を信じたい」と語る石山さん=横浜市中区
差別に苦しみながらも「それでも人を信じたい」と語る石山さん=横浜市中区

 下を向いて生きてきた。

 終戦の2年後、小学6年の夏休み明けだった。ハンセン病の診断結果を渡すと、担任教師が豹変(ひょうへん)した。「汚い病気」と棒で打たれ、「二度と来るな」と学校を追い出された。机と椅子は焼かれ、机があった一角には床に新聞紙が貼られて立ち入り禁止となった。

 静岡の山あいにある小さな集落。つかの間、友達と野山を駆け、川で釣りに興じたが、罹患(りかん)のうわさが広まると、一人また一人と離れていった。「はーちゃんのことは好きだけど、遊ぶと親にしかられる。勘弁してくれ」。そう言い残し、親友も去った。

 ハンセン病は長く差別の対象となってきた。後遺症による皮膚の病変だけではない。近寄っただけで感染したり、遺伝したりするとの誤った認識を国が喧伝(けんでん)し、偏見を植え付けた。強制隔離が排斥の風潮を助長し、外部から遮断された療養所では人権が著しく侵害された。

 「人には言えない病気になった」。父に告げられ、医者には15歳まで生きられないと診断された。

 人目を避け、昼間は納屋で過ごす日々。這(は)い出るネズミや、それを食らうヘビさえもが友達に思えた。「人間は不思議なもんでね。孤独が深まると、命あるものが無性に愛(いと)おしくなる」。涼を求めた夜道では、出くわした女性が悲鳴を上げて逃げ去った。石を投げられたこともある。

 孤独が頂点に達し、自死がよぎった。納屋から農薬を持ち出し、裏山へ向かう。「〇月〇日 ハルヘイ シス」。ヤマモモの木に彫り、農薬の瓶を口元に運ぶと、鼻を突く強烈な臭いでわれに返った。「ここで死んだらみんなを喜ばせるだけ。生き続けて見返してやる」。思い直して山を下り、療養所に入ると父に告げた。

 入所の日。待ち合わせたのは早朝、集落外れの空き地だった。父と2人、人目を避けて、遠回りで向かった。川沿いの土手を2人で歩く。会話はない。ただ一言、父が沈黙を破った。「この景色も見納めだ。しっかりと見ておけよ」。朝靄(もや)の中、山の木々は美しく、川のせせらぎが耳に心地よかった。

 空き地に目を向けると、トラックを降りる白衣の女性が見えた。周囲に悟られないためだろう、コートを羽織り、被っていたナースキャップをポケットにねじ込み、駆け寄ってきた。ぎゅっと抱きしめ、「辛かったよね、よく我慢したね」。当時16歳。学校を追われて4年間、優しい言葉を掛けてもらうことはなかった。しがみつき、顔をうずめて泣きじゃくった。

 コートの胸元を涙と鼻水でぐしょぐしょに濡らした。息子を引き離そうとする父に、女性は言った。「いいの、思いっきり泣かせてあげて下さい」

 石山さんは振り返る。

 「コートの上からでもぬくもりが伝わってきてね。初めて知りました、人ってこんなに温かいんだって」

故郷を失った

 入所当時、すでに有効薬が開発され、3年ほどで病は癒えた。「帰りたい」。父に手紙を送ったが、返信がない。2週間ほどして届いた文面に戸惑った。

 〈兄の縁談が進んでいる。お互いに今の環境での生活が幸せだろう〉

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