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核と平和 2012
今を見つめて(1)ヒロシマとフクシマ 被爆者の苦悩再び

社会 | 神奈川新聞 | 2018年7月27日(金) 18:38

 曲がった上体をつえで支えながら、石畳の上をゆっくりと進む。三浦市栄町の会社役員・岡地正史さん(84)は、時間を見つけては港町の鎮守・海南神社に通う。

 「若いとき、お世話になったからね」。鈴縄を揺らし、静かに手を合わせる。その穏やかな表情とは裏腹に、今夏は被爆者として強い怒りを覚えている。

被爆者、見せ物だった

静かに手を合わせる岡地さん=三浦市三崎の海南神社
静かに手を合わせる岡地さん=三浦市三崎の海南神社

 67年前。14歳の少年は郷里の和歌山県を離れ、陸軍の船舶特別幹部候補生として広島にいた。市心部の国民学校で、本土決戦に備え、訓練に明け暮れていた。

 8月6日。校庭で上官の朝礼を聞いていると、上空にB29が見えた。「ドーン」という音と強烈な爆風に倒され、とっさに体を伏せた。

 爆心地から約1.7キロ。「建物は倒れて激しく燃え、人は男も女も分からなかった」

 ともに野戦病院に運ばれた仲間が次々と命を落とす中、4カ月ほどたって兄が迎えに来た。故郷に戻ると、見舞いと称して連日、人が押し寄せた。「広島はどうなった」「新型爆弾はどういうもんか」。やけどでただれ、全身と顔半分を包帯で覆った姿は、格好の見せ物だった。

 被爆者を雇う先はなく、悲嘆に暮れる母の姿を見るのもいたたまれなかった。20歳で単身、マグロ漁で栄える三崎の町に向かい、過去を隠して遠洋漁船に乗り込んだ。そこで出会ったのが、妻昌枝さんだった。「被爆した身だが、この人と結婚できますように」。いわれなき差別があった時代。すがるように海南神社に参拝する日が続いた。

福島事故、自責の念

 一念が通じたか2人は結ばれ、船の機関員の経験を生かしてボイラー整備などを行う会社を立ち上げた。以来、東京電力横須賀火力発電所(横須賀市久里浜)の日常保守などを請け負ってきた。

 既に一線を退いていた昨年3月、福島第1原発事故が起きた。

 岡地さんは、深い自責の念に駆られた。目に見えぬ放射能の恐怖や将来への不安、周囲の無理解から深まる孤立は、身に染みていた。横須賀には核燃料製造会社もある。事故の危険性に気づく機会はあったはずだった。だが、施設見学などで「安全神話」を信じ切っていた自分がいた。

 「福島の人々も、自分たち被爆者と同じ傷や苦悩を抱えてしまっている」。それでも、自身は電力供給の一端を担ってきた立場。声高に「反原発」とは叫べなかった。

 事故から2度目の夏が巡り、政府は「国民の生活を守るため」として大飯原発に再び原子の火をともした。もう、怒りを押し隠すことはできなかった。「人間は結局、核を制御できなかった。電気料金が高くなっても、安全には代えられない。原発はもう使わないでほしい」

(2012.8.6、川口 肇)

 
 

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