相模原市緑区の県立障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件は、26日で発生から2年がたつ。事件は社会に潜む障害者への根強い差別や偏見を浮き彫りにし、マイノリティーとの共生のありようを問うた。関係者の思いを随時紹介する。
静かな住宅街の一角、週末の六ツ川4丁目公園(横浜市南区)は朝からにぎわっていた。住民が集い、28、29日の夏祭りに向けて準備を進める。鉄材を固定したり、木の板を並べたり。みこしが町を練り歩き、ヨーヨーすくいや綿あめなどの屋台がずらりと並ぶ夏の風物詩。うだるような暑さの中でも、鉄パイプを運ぶ手には力がこもる。
地元の六ツ川4丁目町内会だけではない。少年サッカーチームや老人ホームも参加し、回を重ねてきた。そして今年は新たな仲間が加わる。近接する県立障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)の芹が谷園舎(横浜市港南区)だ。この日も職員が準備に参加し、当日は特製の豆腐や納豆などの品々を販売する。
「社会には障害者への偏見がまだまだ残っている。同じ地域に暮らす私たちから、彼らも同じ人間だと発信したい」
町内会長の武藤博之さん(58)は組み上がったばかりのやぐらを眺めた。
隣人同士
19人が犠牲となった殺傷事件から9カ月後の昨年4月、やまゆり園の入所者が園舎に仮移転し、現在は100人余りが暮らす。
施設は同年3月に閉鎖された知的障害児施設「ひばりが丘学園」を改修し利用。近隣には県立精神医療センター(旧芹香院、同区)もある。「障害者が身近にいるのは当たり前だった」。武藤さんは地域の歩みを振り返る。
少年時代、施設の出入りは自由だった。小学校までの近道として敷地内を横切った。放課後にはグラウンドにあったボウリングのピンを勝手に並べて、ゲームに興じた。野球をしていると、旧芹香院の患者がふらりとやってきて「何しているの?」と声を掛けてきた。街でも障害者の姿は見られ、地域の誰もが足を運ぶ雑貨屋ではひばりが丘学園出身の小柄な女性が店番を任されていた。
地域の隣人同士。障害者が日常の風景に溶け込んできたからこそ、やまゆり園の仮移転を知っても不安を感じることはなかった。
一方、長く施設との直接的な交流はなく、仮移転後も変わらなかった。学園の敷地に約5年前、フェンスが築かれたことだけが原因ではない。仮移転の期間は、障害の程度は-。「分からないことが多く、町内会として踏み出すことができなかった」
知る努力
転機は、今年1月の大雪だった。園舎職員が小型の除雪機で、道路に降り積もった雪を処理していた。朝から地域のために体を動かす姿を前に、自分たちも協力しなければとの思いが芽生えた。お互いを知るきっかけになればと、夏祭りへの参加を呼び掛けた。
「障害者施設と距離を置くのは、誰でも最初は仕方ないかもしれない。でも、少しでもお互いを知る努力を積み重ねていけば、きっと近づける」
園舎の秋祭りへの協力や町内会の作品展への参加、回覧板での園舎の活動紹介、災害時に備えた協力体制の構築-。もっと分かり合うためにと、武藤さんのアイデアは尽きない。夏祭りでは山車が園舎内に立ち寄り、夜には盆踊りの曲が流れ、出店が軒を連ねる雰囲気をともに味わうつもりだ。
「地域の子どもには偏見を持ってほしくはない。小さい頃から障害者と関わっていれば、お互いに同じ人間だと分かるはず。今日の準備を通じて、さらに距離が縮まりました」
もう一度やぐらを眺め、目を細めた。