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時代の正体〈612〉沖縄戦(上)戦争の記憶、風化せず 精神科医・蟻塚亮二さん

社会 | 神奈川新聞 | 2018年6月23日(土) 09:38

沖縄戦の「心の傷」について語る蟻塚さん=羽田空港
沖縄戦の「心の傷」について語る蟻塚さん=羽田空港

 【時代の正体取材班=田中 大樹】梅雨の晴れ間、西日傾く羽田空港。精神科医の蟻塚亮二さん(71)は大ぶりな黒のナップサックを肩に掛け、キャップに青いTシャツというラフな装いで待ち合わた喫茶店に現れた。

 福島県相馬市でメンタルクリニックの院長を務める。被災者と向き合い、沖縄戦の「心の傷」を各地で語る多忙な日々。この日も都内での催しに参加した後、那覇へと向かう道中だった。ソファに腰を下ろし、一息つくと穏やかな眼差(まなざ)しは一転、眼光鋭く語り始めた。

 「戦争の記憶は風化しない。沖縄に『戦後』は訪れていません」

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 「奇妙な不眠」。それが沖縄戦のトラウマ(心的外傷)と関わるきっかけだった。

 2004年、青森の病院に勤めていたが、過労でうつ病を患い、沖縄に移り住んだ。6年後、那覇の総合病院に勤務していた時、「奇妙な不眠」を訴える患者が相次いだ。「夜中に何度も目が覚めるんです」。うつ病を疑ったが、診察すると違っていた。

 その4カ月前、沖縄戦の集団自決を生き残った牧師から体験談を聞く機会があった。衝撃を受けた。

 「集団自決は『忠君愛国』をすり込んだ皇民化教育と『生きて虜囚(りょしゅう)の辱めを受けず』と強制した日本軍による住民虐殺だと言っていい。まだ見ぬ米軍に殺されるかもしれない。一方で、生き残れば日本軍に殺されかねない。雨降る夜の暗闇の中、住民は選択肢のない極限状態に追い込まれ、視野狭窄(きょうさく)に陥っていました」

 精神医学的な現象でもあると感じ、以来、戦争で受けたトラウマ関連の文献を読み進めていた。その中に「奇妙な不眠」と酷似した症状があった。第2次世界大戦中、ナチスドイツがユダヤ人を虐殺したアウシュビッツ収容所を生き延びた人々について、その精神症状を調査した論文だった。

 「沖縄戦の時、どこにおいででしたか?」。患者に尋ねると「米軍の攻撃で家族を目の前で殺された」「日本兵に壕(ごう)から追い出された」「死体を踏みながら逃げた」と、苛烈な体験があふれ出てきた。運転中どこにいるか分からなくなる解離性障害、戦場の光景がよみがえるフラッシュバックなど症例は1年ほどで100を超えた。

 脳に刻み込まれた生物学的な記憶は風化しない。年月を経て発症することから「晩発性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」と名付けた。

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 「掃除機を使えない。急降下してくる戦闘機の音を連想してしまう」「梅雨になると壕の臭いやかび臭さを思い出す」「壕の中で爆発した火薬の臭いを連想するのでマッチを擦れない」「大相撲中継で日の丸が掲げられているのを見ると体が震える」「クリスマスといった米国を連想させる言葉を聞くと気持ちがざわつく」「収容所で米軍から与えられたカルキの強い水を思い起こし、塩素系の漂白剤を使えない」

 蟻塚さんは戦時のトラウマ記憶に苦しむ人々の声を聞き続けた。

 「足の裏が痛い」と来院した高齢の女性は、50代で足の裏が焼けるような激痛に襲われ、20年以上足の痛みに苦しんでいた。

 戦時中、両親や妹と壕の中に身を寄せていると、数人の日本兵が現れ、「お前たちは出て行け」と恫喝(どうかつ)した。父は頭を地面にこすりつけ、「どうか夕方までおいてください」と懇願したが、日本兵は日本刀をガチャガチャと鳴らしながら言い放った。「天皇陛下の命に背くのか。非国民め、たたき切ってやろうか」

 当時、女性は軍国少女だった。それがいきなり日本兵に「非国民」と罵(ののし)られ、壕から追い払われた。その屈辱感は「優秀な皇国臣民たらん」と培ってきた10代の自負心を打ち砕いた。

 トラウマは世界観が壊されたり、他人への信頼が崩れたりするような人為的な出来事による場合の方が天災よりも深刻だという。尊厳を踏みにじられた女性の屈辱感は心に刻まれ、50代になってから父の死や職場のストレスをきっかけに足の痛みとなって噴き出していた。

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 沖縄戦は凄惨(せいさん)を極めた。本土決戦を遅らせるための「捨て石」にされ、米軍の戦史に「ありったけの地獄を集めた」と刻まれるほどである。

 米軍による空襲や艦砲射撃は「鉄の暴風」と形容されるほどにすさまじく、生活の場が戦地となった住民は戦闘に巻き込まれた。

 住民の命を脅かしたのは米軍だけではない。日本軍もまた、住民を「スパイ」として処刑し、壕から艦砲射撃の中に追い出した。県民の4人に1人が命を落とし、戦火が激しかった本島南部ではさらに死亡率が跳ね上がる。自治体別で軒並み4割を超え、全滅した集落もあった。

 蟻塚さんが語る。

 「国内唯一の地上戦となった沖縄戦は、本土の空襲と様相が大きく異なります。武装した米兵が目の前を動き回り、見つかれば殺される状況でした。友軍であるはずの日本軍に恐怖心を抱き、集団自決も起きた。本土のような救援はなく、生き延びても収容所に押し込められました」

 戦後、つらすぎる過去から逃れるため、多くの人々が口を閉ざした。日々の暮らしに追われ、やがて沖縄戦の記憶は脳の奥にしまわれた。

 しかし、年齢を重ね、人生を振り返る時期になると、近親者の死や退職などをきっかけに「寝たふりをしていた記憶」が「熱い記憶」として呼び起こされ、

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