東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)の山上りの5区で活躍し、「山の神」と呼ばれた柏原竜二(28)が新たな道を力強く走っている。2017年3月に5年間在籍した富士通陸上競技部を引退。同社の企業スポーツ推進室に配属となり、17年シーズンはアメリカンフットボール部のマネジャーを務める傍ら、子どもたちに走り方を教えたり、トークショーで自身の経験を伝えたりしている。アスリートが少しでも輝くために-。自身の知名度を生かした活動を“走りながら”模索している。
2009年1月、急勾配のコースでもスピードは全く衰えない。また一人、また一人と各校のランナーを抜いていく。4分58秒差の9位でたすきを受けた1年生ランナーは、トップの早大を猛追。芦ノ湖のゴール地点では早大に22秒差をつけてゴールテープに先頭で飛び込んだ。
東洋大を初の総合優勝に導く活躍で、「山の神」と称された。衝撃的な箱根デビューを果たすと、5区では4年連続で区間賞を獲得。卒業するまでの4年間で3度の総合優勝に貢献し、同大の黄金時代の立役者になった。
「競技生活は32、33歳くらいまで。その中で1回は五輪へ行きたい。マラソンで2時間6分台を目指したい」。12年春、大学屈指のランナーは富士通陸上競技部に入社した。誰もが輝かしい未来が待っていると疑わなかった。しかし、アキレス腱(けん)の痛みなどに苦しみ、思うような記録を残せない。
勝負のシーズンと位置付けた16年もけがでイメージ通りに走れなかった。「そういう時間が長くなるのは苦しい。駅伝で生き残る道もあったが、五輪を目指すと表明した人間がしがみつくのはどうかな、と。自分の人生。決断に迷いはなかった」。マラソンのベストタイムは2時間20分45秒だった。まだ27歳。周囲は早すぎる引退と騒ぎ立てたが、昨年3月に現役生活に別れを告げた。
ただ、大学陸上界のヒーローの行く末を注視していた男がいた。アメリカンフットボールの強豪、富士通フロンティアーズのゼネラルマネジャー(GM)、常盤真也だ。前年に日本一を決めるライスボウルを制したチームに、「トップアスリートとして刺激を与えられる存在かもしれない」とフロンティアーズのマネジャーに指名した。当の柏原にとっては青天の霹靂(へきれき)で、「アメフットに投げ込まれるとは思っていなかった。まずは一歩踏み込むことが大事だったので、あえてどういう仕事かイメージもしなかった」。アメフットとは無論、縁はなく、ルールを学ぶために毎晩のようにプレー動画を見た。緊張から寝付けない夜もあった。