映画監督・渡邉孝明さん

人間は悲劇から逃れることはできない。僕たちの文化を豊かにするためには、やまゆり園で起きた悲劇を深く見つめなければならなかった。
なのに、今回の裁判では全くできていなかった。それは、被告を死刑にすることが裁判の目的になっていたから。人間そのものが持っている「目には目を」のような復讐(ふくしゅう)者の視点でしかない。この裁判は紀元前のハムラビ法典に書かれているようなことをやっていたように思えてならない。
その意味では、この裁判はまさに劇場だった。国民という観客が期待する(死刑判決という)結果から導き出したから、何も見えてこなかった。公判を伝える本紙記事を読み返しても、検察官や弁護士らは絵に描いたような物語を述べ合うだけで、自分より弱い立場の者を殺害するというこの悲劇の本質に触れないようにしていた。