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序列をこえた社会に向けて
やまゆり園事件 最首悟さんの手紙㉑

社会 | 神奈川新聞 | 2020年3月14日(土) 09:32

母の懐

  最首悟 2020/3/13

 わたしは83歳ですが、赤ん坊のころの記憶を持っていません。最近そうなったというわけでなく、子どものころどうだったのだろうと思うようになったころ、それはたぶん思春期のころなのでしょうが、思い出せるのは5,6歳のころのことなのです。赤ん坊というと、男の子を指す、あるいは男重視、女軽視だからよくないと言われるのですが、じゃあ、赤ちゃんとか赤子というのかというと、口ごもります。自分の赤ちゃんのころとはいえません。


 嬰児ともいえないので、赤ん坊にしますが、赤ん坊のころの記憶、それも生まれてすぐの記憶を記したものに、三島由紀夫の「仮面の告白」があります。「産湯の盥のふちに射していた日の光」を「私」は見ていた、というのです。自伝的な小説ですから、そして本人の記憶ですから真偽のほどはわかりません。でもすごいです。朝の光はさわやかな今日の始まりであり、水に射すその光は金色(ルビ:こんじき)の世界を思わせます。それは死後というより永劫の未来の光や後光につながっていくようです。記憶ということもさりながら、この記述が印象深いのは、三島由紀夫の実際の死が強烈だったからでもありましょう。

 裏付けられた記憶ということでは、常人ではない記憶力を持った作家の石牟礼道子さんが挙げられます。メモを取られたら、わたしはしゃべらなかったろうと水俣病の苦しみの聞き取りに応じた被害者が述懐しています。そして私にはこう聞こえたのよ、と石牟礼さんは書いていきます。でもそれは類いまれな記憶力に基づいた叙述なのです。その石牟礼さんから直接聞いたのですが、一歳半のころ、温泉のお湯の中でお漏らしをして、その塊りが背中を通って水面にぽかりと浮いたことがあったと。水面に浮くのかなあ、と思うのですが、そのことを大きくなって、親たちに話したら、確かにそういうことがあったと頷いたそうです。

 ふつうは三歳ころまでの記憶はありません。でも「三つ子の魂百まで」というように、三つ子を三歳とすると、三歳までの育ち方はそのあとの人のあり方に相当に大きな影響を及ぼすとされています。そしてその時期でなければ定着しない体験の記憶もあるのです。体験にかかわることでは言語の習得があります。言葉はは三歳ころしゃべれるようになるのですが、どうして話せるようになるのか、今もってわかりません。ただ、ただその時期、人のいる環境で育たないと言語は獲得できないことは指摘されています。一八世紀末発見された「アヴェロンの野生児」は言葉を話せるようにならず、言葉獲得の臨界期を過ぎたとされました。

 動物では「刷り込み」という現象が知られています。刻印のことをインプリントというのですが、「刷り込み」はインプリンティングと言います。ガチョウのヒナは孵化したとき、最初に見た動くものを母親と思って、ずっとそのあとを追いかける、という観察をしたコンラート・ローレンツは、自らもガチョウの母親になったことで有名になりました。この「刷り込み」は期間が限定されていて、しかも1回限りなのです。期間が過ぎてしまうともう記憶されません。あらかじめ本能としての仕組みが備わっているのです。

私たちの場合も、いまのところ言葉が使えるようになるのは本能によるということになっています。そして三歳までに人が居るところで育たないと言葉は獲得できないのではないか、ということになると、動物の刷り込みにあたるものは、「人と居る」ということになります。では、「人と居る」ときの人とは誰なのでしょう。もちろん一般的な人でいいのですが、具体的には家族でしょう。そしてその中で群を抜いているのが母親だと言えます。

 このことは哺乳類でははっきりしていて、父親ということになるとまず関係しません。人の場合は複雑になってきますが、やはり母親との関係は、ほかの家族との関係と比べると比較にならないほど濃密だと言えます。そのことを「母親の懐(ルビ:ふところ)」と言います。母乳を飲むことが直接的ですが、大きくは母に抱かれ世話されて育つということを表しています。言語の獲得には「人と居る」ことの中心部分の「母親の懐」が欠かせないのではないか、と思われます。

 言い換えると、「母の懐」の中で安心して、自分は何をしても守られているという自由と意欲がきざして、そして実際に何かすると母親に制止されることを繰り返して、自分が育ってゆく。そのような結果として言葉があるのだと思われます。

 もちろん、「母の懐」がなくても、そして母親がいなくても、人と居れば言葉は出てくるのですが、言葉は心と直結しているので、心のあり方に大きな違いが出てくるかもしれません。このことについて欧米ではどうでしょうか、次回に書きます。 

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