
【時代の正体取材班=成田 洋樹】4月下旬、県内のある公立小学校で放課後に会合が持たれた。教員間で「支援が必要な児童」について情報共有し、連携を強める目的だった。
「落ち着きがない」
「学力が低い」
同僚が子どもたちをあげつらうように発言を重ねたため、居合わせた40歳代の男性教諭はいたたまれなくなった。学力や行動で集団から少しでもはみ出ると「手のかかる子」と決めつけているようにしか聞こえなかったからだ。
「周囲の力を借りながら良さを引き出すことだってできるはずなのに、なぜその児童が悪いような言い方をするのか」
小学校では4月から道徳が教科化された。文部科学省は「考え、議論する道徳」として特定の価値観を教え込むようなことはしないとしているが、実際の教科書は集団生活でのルールを強いるような教材が少なくない。
「道徳教科化で規律が強まるようであれば、『できない子』とされた子どもはますます生きづらくならないか」
別の公立小学校の30歳代の女性教諭は、2011年の大津市いじめ自殺事件を機に道徳が教科化されたことに違和感を覚えている。
「子どもたちはそもそも、いじめが悪いことだと分かっている。教科書を使って授業をしたところで、いじめはなくならない」
そう受け止めるのは、中学生の頃の苦い記憶があるからだ。
中学1年生の時、仲が良かった友達から急に無視されるようになった。次第にほかのクラスメートからも敬遠されるようになったが、理由が分からなかった。心配をかけまいと親に伝えることはできず、信頼を置けない担任教諭には相談できなかった。クラスが替わる2年生まで耐えるしかなかった。
「子ども同士の人間関係は複雑で、当時の私のように本音を出せない子だっている。一方で、いじめをしてしまう子は周囲から大事にされていないがゆえのストレスを抱えているケースは少なくない。教諭の役割は自由に意見が言えて、安心して過ごせるクラスをつくることにこそある。なのに国は、規律を重んじる日本人を育てようとしているように思えてならない」
いま現場を悩ますのは、道徳の授業で子どもたちをどう評価するかだ。数値ではなく記述式で個人の成長を測るとされているが、子どもたちの振る舞いが評価の対象になることに変わりはない。女性教諭の懸念は募る一方だ。
「子どもたちの心を統制することにつながらないか」
教室に溶け込む愛国 学校と教科書
子どもの内面を縛りかねない教科書であるにもかかわらず、やがて教室の日常に溶け込み、定着する-。育鵬社の教科書を使う教員の話からは危うさを認識できない学校現場の窮状が浮かび上がる。
横浜、藤沢の両市教育委員会が2011、15年度に市立中学校の歴史・公民教科書として採択した育鵬社版の使用は、18年度で7年目に入った。横浜では09年度に市内18区のうち8区で採択され、2年間使われた自由社版歴史教科書を含めると9年目となる。
戦後の近現代史教育はアジアへの侵略や日本の戦争責任を強調した「自虐史観」であり、日本人として自信が持てる教科書をつくる-。1997年にそう宣言して結成された「新しい歴史教科書をつくる会」の流れをくむ両社の歴史教科書は愛国心を強調し、加害の歴史を正当化していると研究者や市民団体から批判されてきた。育鵬社版公民には憲法改正や領土問題の記述が多いと指摘されている。
無自覚
「育鵬社の教科書を疑問視する教員は少なくないと思うが、職場で議論する機会はなく、市内の社会科教諭が集まる研究会でも話題にならない」
横浜市立中学校のベテラン社会科教諭の憂いは深い。