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93年前の惨状今に 関東大震災の空撮

社会 | 神奈川新聞 | 2016年10月16日(日) 10:52

震災当時の横浜市内を写した航空写真。現在の京急線横須賀中央駅付近(横須賀市)(蟹江さん提供)。
震災当時の横浜市内を写した航空写真。現在の京急線横須賀中央駅付近(横須賀市)(蟹江さん提供)。

 焦土と化した街並みにわずかに残る建物、通りにまばらな人は立ち尽くしているかのようだ。未曽有の災禍、93年前の関東大震災。現在の京急線横須賀中央駅付近(横須賀市)の惨状を空から見ると、激しい揺れと猛威を振るった火炎の状況がよく分かる。その一枚一枚に価値を見いだした「ジオ神奈川」代表の蟹江康光さん(75)は今月、当時の教訓を後世に残そうと写真集を刊行した。

逗子の蟹江さん自費出版


 10万5千人余りが犠牲になった1923年9月1日の関東大震災の被災地を俯瞰(ふかん)し、被害が拡大した背景を見つめ直す-。新たな視点から実態に迫った研究者による写真集が今月、自費出版された。震災90年の節目だった2013年に発案し、3年かけて写真を収集してきた「ジオ神奈川」代表の蟹江康光さん(75)=逗子市=は「未公開の写真も多数見つかった。当時の地形図などを重ね合わせて分析すると、揺れや火災、土砂崩れ、津波の状況がよく分かる」と強調。「あの日の苦難と教訓をいつまでも忘れないように」と、県内の公立図書館に寄贈する。

 タイトルは「関東大震災-未公開空撮写真 神奈川は被災地だった」。震度7相当の激震と続発した余震で建物が次々と倒壊し、火災なども重なった横浜や三浦半島、湘南各地の航空写真を中心に、大火の東京や揺れが激しかった千葉・館山、津波に見舞われた静岡・伊東なども取り上げた。

 当時、上空から撮影したのは、海軍や陸軍の飛行艇や飛行船。それらの写真を所蔵する防衛省防衛研究所戦史研究センター(東京)や横浜市中央図書館、横浜開港資料館などの協力を得たほか、収集過程で逗子市で開いた写真展を訪れた海軍関係者の家族から当時の貴重な写真を入手し、十数点を収録した。

被害 背景探る写真集


 保管されていた経緯は不明だが、海軍関係者の家族から提供された写真には、鎮守府があり当時は機密扱いだったとされる横須賀の各地をはじめ、密集市街地の火災で焦土と化した横浜や東京も写されていた。

 「これまで公開されていなかったものばかり」と、蟹江さんらはその価値に着目。「当時の軍の記録などから撮影の日時や場所を推定した」という。揺れには耐えたが、火災で内部が焼け落ちた横浜市役所の廃虚とともに、逃げ込んだ4万とも6万ともいわれる人々の大半が奇跡的に助かった横浜公園も一部写っている。


震災当時の横浜市内を写した航空写真。中央左の廃墟となった建物が横浜市役所(蟹江さん提供)
震災当時の横浜市内を写した航空写真。中央左の廃墟となった建物が横浜市役所(蟹江さん提供)

 また、相模湾沿岸の各地を写した写真から地盤の隆起状況の違いを推定。押し寄せた津波は鎌倉に大きな被害をもたらしたが、隆起した大磯や小田原ではほとんど浸水が見られなかった点を空撮写真からも確認できたという。倒壊により多数の死傷者を出した川崎の紡績工場や横須賀の土砂崩れ現場も撮影されている。


関東大震災の教訓を伝えようと、空撮写真集を出版した蟹江康光さん(右)と由紀さん
関東大震災の教訓を伝えようと、空撮写真集を出版した蟹江康光さん(右)と由紀さん

 写真集はB5判161ページで500部発行。メインの航空写真はデジタル加工した上で約60点をB5サイズで使用し、見開きのページに地上から撮影された同じ地点や周辺の写真をちりばめ、状況を立体的に捉えられるようにした。

 図書館への寄贈のため、インターネット上で資金を募る「クラウドファンディング」も活用した蟹江さんは、「震災から90年以上が過ぎ、今のうちに資料を集めておかなければ、散逸してしまう。後世に引き継ぐためにも、記録をあらためて見直す必要がある」と指摘。ともに収集、分析を進めたジオ神奈川事務局長で妻の由紀さん(67)も「地域の減災に活用できる資料になったのではないか」と話す。

◇ ◇ ◇
 1部5千円で販売もしている。希望者は蟹江さん電話046(873)6283へ。22日には、逗子市市民交流センターで出版記念の講演会や写真展を開く。

 
 

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