【時代の正体取材班=田崎 基】憲法学者の井上武史・九州大准教授は「緊急事態条項」を憲法に書き込む改憲に賛同するが、条文案をまとめた自民党には重要な視点が欠けているのではないかと指摘する。それは権力の暴走を食い止め、個人の尊厳を守るために憲法があるという「立憲主義」に他ならない。憲法の要諦を無視しているとしたらその改憲には最大の警戒が必要だと訴える。
憲法に緊急事態条項を創設すること自体については、私は必要だと思っている。首都での大震災や他国からのミサイル着弾などで国会が開けないような状況になったとき、国政上の問題をどのように決めていくのかを事前に定めておく必要があるからだ。
だが、自民党内でいま議論されている内容と各国の緊急事態条項を比べると異質な印象を受ける。
緊急事態が起きたとき、政府は危機への迅速な対処を優先し超法規的になってしまいがちである。諸外国はそうならないために、政府がやっていいことと、やってはならないことを憲法で定めている。つまり緊急事態条項は非常に立憲主義的な制度として存在しているといえる。
日本の法律家はこの辺りの実情についてあまり言及していないが、国際人権規約にも同様の規定がある。国家は緊急事態対応を取ることができるが、その時でも停止できない権利というものが列挙されている。
緊急事態においても侵害されない人権があり、そのことを憲法に明記しておくことで国家の暴走を防ぐ。このために緊急事態条項が必要とされる。したがって「緊急事態条項なんか認めたら独裁になる」というのはまるで核心を突いていない。
12年草案から後退
だが、自民党内ではそうした立憲主義的な観点から緊急事態条項が議論されていないのではないか。緊急事態条項の本質は、超法規的なことが起きかねない状況下でも政府の権限を抑制することにある。その視点が自民党内の議論で欠如しているとするとそれは非常に危険なことだ。
この点で思い返されるのは2012年4月に自民党がまとめた改憲草案の緊急事態条項だ。
法律と同一の効力を有する政令を内閣が制定することができることや、衆院議員の任期延長などが盛り込まれていた。この中の99条第3項後段には「この場合においても第十四条(法の下の平等)、第十八条(身体の拘束及び苦役からの自由)、第十九条(思想及び良心の自由)、第二十一条(表現の自由)そのほかの基本的人権に関する規定は、最大限尊重されなければならない」と定めていた。「尊重」にとどまっているものの、立憲主義を守ろうとする姿勢はうかがえる。この改憲草案が評価できる部分の一つだ。
一方で今回示された自民党の条文案ではまず「議員の任期の延長」が示され次いで「内閣が国民の生命、身体および財産を保護するため、政令を制定することができる」と、国などの公的機関の指示に国民を従わせる「私権の制限」や政府への権限集中を規定している。任期の延長を憲法で定める国はあまりないし、実際には法律改正で対応できる事項だろう。なによりこうした規定は緊急事態条項の本質的な部分ではない。
創設目的が見えず
重要なことはまず、緊急事態とは何なのか、ということを定義する必要がある。どういう場合に緊急事態が宣言されるのか。そのとき内閣や国会がそれぞれ何ができて、何ができないのか。解除の要件も定めなければいけない。こうしたことを丸ごとセットで決めておかなければならない。どこまで憲法に書き込み、どこから法律で対応するのかという問題もある。
こうして考えると、9条改憲案でもそうだったが、