
東日本大震災の教訓を地域を超えて共有するため、河北新報社(仙台市)と神奈川新聞社が共催した「むすび塾」は4日、平塚市の海沿いのなでしこ地区で、住民らによる津波避難訓練を行った。地震からわずか6分で9・6メートルの津波が押し寄せる最悪のケースを想定。いかに早く行動を開始し、安全な場所を目指せるか-。訓練後には、防災教育の専門家や語り部も交えて反省点や今後の取り組みを語り合い、命を守る大切さを再確認した。
訓練で避難の目標地点としたのは、平塚市の津波ハザードマップで示された浸水想定域と津波が及ばないエリアとの境界付近。その地点まで逃げることができれば、最悪ケースの津波でも命を守れる可能性が高いからだ。

マップの情報をより詳細な地域図に落とし込み、住む場所によって異なる最短の目標地点を把握するための「逃げ地図」をあらかじめ作成。訓練ではこの地図を活用し、最短のルートと避難に要する時間を確かめた。
海沿いの国道134号線のそばに家族6人で暮らす兼子直人さん(43)一家は、上着を羽織るなど最低限の準備で家を離れ、約百数十メートル先の目標地点まで4分20秒ほどで避難を完了。自らは10カ月の4女をベビーカーに乗せて急いだが、未舗装の場所で時間がかかり、走って逃げた妻や小学生の次女らとすぐに離れ離れになった。

語り合いでは「災害時はこうなると分かった。気持ちがあせってしまう」と振り返り、家族そろって命をつなぐ難しさを痛感した。先行した妻らが丁字路で曲がる方向を誤り、標高の低い方へ向かいそうになったことも気になったという。
海に近い自宅でネイルサロンを営む若狭梓さん(35)は夫と参加し、7歳、5歳、1歳の息子計3人を連れて避難。約3分30秒で目標地点に到達できた。だが、「今日は主人が下の子を抱っこしてくれたけれど…」と、夫が仕事などで不在時の判断や行動に不安を覚えた。
「歩道は狭いし、電柱もある。家が倒れてきたら、通れなくなってしまう」。歩き慣れた道を避難の視点で見つめ直し、懸念材料が多いことに気が付いたという。付近には、津波避難ビルに指定された集合住宅もあるが、「非常階段や入り口はどこか。どうやって上に行けばいいのか。実際に入ったことがないので、分からない」と、日頃から確認しておくことの大切さを実感していた。

これに対し、浸水域に立地する認知症高齢者のグループホーム「へいあんなでしこ」では、80代以上の入居者3人に対し、3人のスタッフが付き添った。目標地点までは100メートルほどで遠くなかったものの、避難完了までに要した時間は6分40秒余り。津波到達時間の6分をオーバーする結果となった。
同施設の避難の条件は厳しい。足腰が悪く、車いすや歩行器を利用するお年寄りもいる上、入居者の半数が2階で過ごしている。
それでも訓練では、車いすで避難する女性(100)を2階から階段で下ろすため、ベルトや持ち手を付けて改良したマットレスに横になってもらい、スタッフ2人で手際よく作業。管理者の川島航さん(29)はその後、別の入居者の手を引いて徒歩で目標地点を目指した。

語り合いでは「いかに早く玄関まで入居者を連れて行けるかが課題。その段階で6分たってしまうと思っていただけに、上出来だった」とも述べたが、東日本大震災で両親を亡くした高橋匡(きょう)美(み)さん(52)=宮城県塩釜市=はこう指摘した。「40秒遅れただけでも、人は亡くなる」
川島さんは「今回避難したのは3人だけだが、入居者は18人いる。夜間はスタッフが少ないので、対応はさらに難しい」と、被災地の教訓をかみしめた。
また、老朽化に伴う建て替えのため、今月から一時的に海岸近くの仮園舎に移った花水台保育園の鈴木裕理子園長(58)も、課題を口にした。「5分ほどでたどり着けたが、園児が外に出るまでの時間や歩くスピードを考えると、ルートを見直した方がよい」と実感を込め、施設独自で訓練を行う考えを示した。

「命助かる」共有
撫子原自治会
臼井 照司会長(69)

撫子原自治会は、津波ハザードマップで赤色(浸水時の水位が高い)の地域。私の住む所も「へいあんなでしこ」から歩いて数分、同じような状況だ。
揺れた後、すぐに逃げるといっても6分は非常に短い。避難所である県立平塚工科高校までは10~15分かかる。津波の想定が9・6メートルに見直された時、地元から「もう逃げられない」という声が上がった。逃げ地図で示したように、ここまで逃げれば助かるということを共有できれば、「みんなが逃げるなら私も」という雰囲気になる。
住民の意識に差があることも課題。今回の経験を伝えるとともに、これはできないということがあれば、別の選択肢をつくるような取り組みをしていきたい。
周囲に注意払う
宮城教育大
小田 隆史准教授(39)

避難のルートを足で確かめ、勾配を確認できたことに大きな意義がある。津波が押し寄せてきた時に、少しの高低差で浸水の状況は変わる。高い建物の位置など、訓練を通じていろいろな気付きがあったと思う。逃げ込めるビルやマンションの情報を地図に書き込んでおくとよいだろう。
避難の際は逃げる方向を向いて走ったと思うが、海の様子が全然見えないことに注意すべきだ。被災地では、津波で建物などが押し流された後に、海の近さにようやく気付いたという声もよく聞く。
後ろばかり気にしていて、別の方向から津波が入ってきたという例もある。車で避難する人もいるので、周囲に注意を払いながら逃げる必要がある。
諦めない意識を
東洋英和女学院大
桜井 愛子准教授(47)

平塚市では逃げ地図作りなどが既に行われ、東日本大震災を教訓とした避難のインフラが整っている。
ただ、6分で9・6メートルの津波が到達するということをどれだけの住民が知っているか。知っている人を100%にし、「(避難を)諦める」を「諦めない」に、「死ぬかもしれない」を「生き抜く」に変える取り組みが必要。住民は逃げ地図よりさらに自分たちの地域の状況を拡大した地図を希望すると思うが、そうした地図を作る作業を通じて、行政の出す情報を自分のものにできるのではないか。「へいあんなでしこ」は6分以内で目標地点に到達できなかったのだから、逃げ地図通りにはいかないということ。他の手段を早急に考える必要があるだろう。
■「語り合い」に参加者して平塚市災害対策課の脇孝行課長(52)
津波ハザードマップは2016年度に配布し、「逃げ地図」は17年11月、住民に自ら作ってもらった。自助を支える公助をさらに進めたい。
東海大1年の片桐航大さん(19)
平塚市内に住んでいるが、なでしこ地区は道が狭いのが気になった。津波の時は車で避難する人もいるはずで、事故が起きる心配もある。
宮城県東松島市の添田あみさん(19)
ブロック塀が多く、倒れてきた時には避難が難しいと感じた。避難場所は一つだけではなく、いくつか考えておいてほしい。
宮城県塩釜市の高橋匡美さん(52)
被災地では、近所の人と一緒に逃げて、後ろを振り返ったらその人がいない、ということもあった。余震で物も落ちてくるが、とにかく逃げて。
宮城県亘理町の菊池敏夫さん(68)
避難の際は、ばらばらになるのが当たり前。手をつないで一緒に避難しようとすると、互いに命を落とすことになる。それを基本に考えてほしい。