国民の6人に1人が貧困状態とされる日本。私たちはこの現実とどう向き合い、どのような社会をつくるべきか。県内のNPO法人などでつくる「かながわ生活困窮者自立支援ネットワーク」の研修会で、講師を務めた井手英策・慶応大学教授(45)は訴えた。特定の「誰か」が困窮しているのではなく、大勢の人が困っている時代。みんなで痛みを分かち合い、誰もが安心して暮らせる地域社会を目指すべきだ、と。
井手教授が最初に持ち出したのは、江戸時代の「村請(むらうけ)」だった。
年貢を村単位で納める制度で、誰かが病気になったり破産したりすると、その分を他の村人が背負うことになる。「だから怠けてはいけない、勤労せよ、という思想が全国に広がっていった」。井手教授はここに「勤労の思想の恐ろしさ」をみる。
「助けている側の気持ちは善意でも道徳でもない。(日本人は)嫌々ながら助けなければいけない状況に長年置かれてきた。この社会は、困っている人を助けると一方で言いながら、実は助けるということに、ものすごくストレスを感じている」
明治期になると村請制度は撤廃され、年貢は個人単位で納めるようになる。また、「天は自ら助ける者を助く」との言葉で知られる英国の著述家サミュエル・スマイルズの「自助論」がベストセラーとなった。しわ寄せを受けてきたとして中間層は長年抱えていた怒りや不満を爆発させ、そのエネルギーは自由民権運動へとつながる。
勤労や、自己責任を重んじる考え方は、戦後にも受け継がれた。
憲法25条「生存権」はあらゆる人々の健康で文化的な最低限度の生活を守るものだが、草案の議論をしている際、学者の中には「働かざる者食うべからず」式の考えから、働かない者の命など保障しなくて良いといった意見もあったという。憲法27条では勤労を「義務」と規定している。
「まさに勤労の国。自分で働き、お金をためなさい、自己責任で生きていきなさいという国だ」
井手教授によると、1997年をピークに手取り収入は減少し、非正規雇用が急増。世帯収入はこの20年で2割近く減り、300万円未満の世帯が全体の33%、400万円未満が47%を占める。所得の減少と同時に、97年をピークに家計貯蓄率が減少。金融広報中央委員会の調査では2人以上世帯の3割、1人暮らし世帯の5割が「貯蓄ゼロ」と回答しているという。
会場に集まった、生活困窮者支援の現場で尽力するNPO法人や行政の関係者らに向け、井手教授は訴えた。
「(日本は特定の)誰かが困っている社会ではなく、大勢の人が困っている社会なのではないか。皆さんに問い掛けたい。生活困窮者とは一体、誰を指すのか」
貯蓄や所得の減少、雇用の不安定化…。そうした状況を背景に、97年から98年にかけて急激に伸びた数字がある。男性の自殺者数だ。一家の家計を支えてきた40~60代が目立った。
母子家庭の貧困率は「先進国の中で最悪」の日本。正社員になれない母親たちがパートやアルバイトで得る収入は、生活保護費よりも低いという実態がある。にもかかわらず、必死で働き続ける。なぜか。
「勤労という言葉の恐ろしさ。働かない人間は生きる価値がないと、平気で議論するような国。生活保護を受給することは恥、屈辱とされ、貧乏でも勤労したほうが良い…。この社会の在り方が本当に健全なのか」
小田原市の生活保護ジャンパー問題と、相模原市緑区の障害者施設殺傷事件。小田原市の職員が「保護なめんな」と書かれたジャンパーを着て受給世帯を訪問していた問題では、市に批判が殺到する一方、支持する声も少なくなかった。相模原の事件では、精神疾患による措置入院や生活保護受給の経験があった社会的弱者ともいえる男が、さらに弱い立場の知的障害者を殺害した。井手教授は神奈川で発生した二つの出来事に、今の日本社会の本質を感じ取る。
「弱者がさらなる弱者を見いだし、非難し、時には殺すような社会。弱者に対する寛容さのかけらもない。このことと向き合わない限り、本当の意味の生活困窮者の救済などできない」
より良い社会をつくるため、