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東芝、野球部を存続(下) 苦境背負い再スタート

社会 | 神奈川新聞 | 2018年2月3日(土) 12:08

2005年の都市対抗決勝でに三菱ふそうに敗れたものの、見事準優勝に輝いた日産自動車
2005年の都市対抗決勝でに三菱ふそうに敗れたものの、見事準優勝に輝いた日産自動車

 経営再建中の東芝で野球部の存続が決まった。直接的には利益を生まない部を手放さない決め手は、「福利厚生」にあるという。

 東芝は昨年、Bリーグ元年に準優勝を果たした旧バスケットボール部の運営権を、プロ野球・横浜DeNAの親会社に譲渡した。発表会見の席上、バスケ部を手放す一方で、野球を存続させる意図を問われた豊原正恭・上席常務(60)は、こう強調した。

 「野球部は従業員の士気高揚という、福利厚生の目的で運営している。その面を重視して引き続き、継続していく」

 売上5兆円規模の大企業にあって、年間数億円とされる野球部の運営費をどう見るか。JX-ENEOS(横浜市)の11度に続く7度の都市対抗優勝を誇る部がもたらす、数字には表れない「福利厚生」という貢献をどう見るか。

 その価値判断に長年、揺れ続けてきたのが、三菱日立パワーシステムズ(横浜市)だろう。


 旧三菱重工横浜に端を発するチームはクラブチーム化、企業チーム復活を経て、2017年には三菱重工長崎野球部と統合され、現在の形となった。1982年の入社以来、捕手やマネジャー、副部長を歴任してきた田中強志さん(58)=法政二高出身=は、特に廃部危機にあった2006年のことが忘れられない。

 「金沢工場(横浜市)の従業員100人が部の存続を求める署名運動をしてくれて、会社側もこんなに社員が思ってくれるチームをつぶしてはと動いてくれた。社員の皆さんがいてこそプレーができるのだと感動し、大きな力に変わった」

 本社のリコール隠し問題で04年に活動休止した三菱自動車岡崎(愛知)で、直後に監督を引き受け、復活に導いた川口朋保さん(46)=三菱自動車本社人事本部勤務=も、似た体験を語る。

 当時、3分の2の選手が他チームへの移籍や引退を決めた。戦力は大幅にダウンしたが、復活後はだからこそ燃えた。

 「社員もボール拾いを手伝ってくれた。練習試合で大学生にもぼろ負けだったチームが都市対抗に行けた。それぐらいみんなが力を発揮し、会社も一体になっていった」

 三菱岡崎は本社の燃費不正問題で再び16年春に活動を自粛するも、現在は再開させている。


 野球は戦後復興の象徴だった。

 
 

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