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差別生んだ2つの国策 沖縄の土木技術者 
父の遺志 ハンセン病と基地語る奥間政則さん

社会 | 神奈川新聞 | 2018年1月23日(火) 17:00

父の手記を掲げながら講演する奥間さん =横浜市中区
父の手記を掲げながら講演する奥間さん =横浜市中区

 真っ青な空から陽光が降り注ぎ、目の前に広がる海がエメラルドグリーンに光り輝く。その美しさに思わず息をのむ。

 沖縄本島北部の名護市辺野古。生命にあふれ、地元漁師でさえ「表情が毎日変わる」とため息を漏らす豊かな海がいま、奪われようとしている。民意を無視した新たな米軍基地建設が止まらない。

 「土建屋の誇りに懸けて」。土木技術者の奥間政則さん(52)=大宜味村=はそう繰り返し、専門的見地から杜撰(ずさん)な工事を追及する。

 “主戦場”は基地のゲート前だけではない。全国各地で講演を重ね、そして告白する。

 「私の両親はハンセン病の元患者です」

 父は手に、母は足に障害があった。幼い頃から気にはなっていたが、両親は一切語らなかった。「子ども心に触れてはいけないんだと感じていました」

 転機は2013年、父から頼まれ、原稿用紙500枚につづった手記をパソコンに入力した時だった。沖縄戦で家族が亡くなったこと。戦後ハンセン病を発症し、本島北部の国立療養所「沖縄愛楽園」(名護市)に入所したこと-。表題は「戦に追われた少年の記憶」。父の半生が記されていた。

 「手記は寡黙だった父ちゃんが、せめて活字で訴えようとしたんだと思います。私に伝えるために書いたのかもしれません」

 ハンセン病は長く差別の対象となってきた。国の隔離政策が社会に偏見を生み、排斥の風潮を植え付けた。外部から遮断された療養所では人権が著しく侵害され、断種や堕胎が繰り返された。

 15年6月には父が手記でも触れなかった事実を知った。愛楽園に再入所していた両親を訪ねた際、園内に新設された資料館に立ち寄った時だった。

 職員に自身の記憶や両親の境遇を話すと、1冊の分厚い証言集を差し出された。「お父さんでは」と促された匿名のページを読み進めるうち、経歴などから父だと確信した。

 語られていたのは、差別に苦悶(くもん)する父の姿だった。病が完治してもなお、障害をさげすまれ、嫌がらせを受け、職場を転々としていた。

 幼少期からの日々、記憶の中の父はいつも暴力を振るっていた。「酒におぼれ、暴れてばかりの父ちゃんが怖くて仕方なかった。親子の会話なんてありません。こんな大人には絶対なりたくないと思っていました」

 ハンセン病への差別が根付いた世間に、社会復帰した元患者の居場所はなかった。

 「父ちゃんは酒に逃げるしかなかったんです。屈辱を受けた悔しさを母ちゃんや私に向けていたんです。読みながらぼろぼろと涙があふれました。40年以上です。私は父ちゃんのことを何も知らなかった。父ちゃん、ごめん。気付いてあげられなくてごめんって」

 16年6月、父は85歳で亡くなった。周囲と距離を置き、ひっそりと生きる人生だった。いま、愛楽園内の納骨堂で眠る。

 「基地問題に全く目を向けていませんでした。本当に情けない」。無知、無関心だった自身を恥じる。

 高校卒業後、専門学校に進み、東京や沖縄の建設会社に20年余勤めた。米軍基地内の工事で現場責任者を務めたこともある。

 1995年、米兵3人による少女暴行事件が起き、沖縄では基地反対運動が沸騰した。辺野古新基地建設の原点だ。

 当時、米兵3人が駐留していた本島中部のキャンプ・ハンセン(金武町)内で工事を請け負っていたが、反基地のうねりがどれほど大きくなろうとも気付くことはなかった。ひたすら仕事に没頭していた。

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