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アルジェリア人質事件5年 世界での立場、認識を

社会 | 神奈川新聞 | 2018年1月16日(火) 10:47

紛争の平和的解決の重要性を語る小倉教授。人質最終日の武力突入時、銃弾が飛び交う現場に居合わせた後遺症から集中力が続かなくなり、車の運転をやめるなど今も苦労は少なくないという
紛争の平和的解決の重要性を語る小倉教授。人質最終日の武力突入時、銃弾が飛び交う現場に居合わせた後遺症から集中力が続かなくなり、車の運転をやめるなど今も苦労は少なくないという

 イスラム武装勢力にガス田が襲われ、プラント建設大手「日揮」(横浜市西区)の駐在員らが犠牲になったアルジェリア人質事件から、16日で5年となる。1996年のペルー日本大使公邸人質事件で大使館員として人質となった経験を持つ神奈川大学の小倉英敬教授(66)は「歴史や文化、価値観の違いを踏まえ、世界の中での日本の立場をきちんと認識すべきだ」と説く。

 アルジェリア人質事件は2013年1月16日未明(日本時間同日昼)、北アフリカ・アルジェリア南東部イナメナスのガス田施設で発生。日揮の日本人駐在員ら多数の外国人がイスラム武装勢力に拘束された。アルジェリア軍が同月19日まで軍事作戦を展開し、人質の日本人17人のうち10人を含む少なくとも40人が死亡した。

-ペルー事件を経験した立場として、アルジェリアの事件をどう見ますか。

 「人質と実行犯グループの関係性や、どのような状態で亡くなったかの詳細が分からないので、二つの事件を比較するのは難しい。ただ、関係者10人が亡くなっており、日揮の責任は重いと思う。欧米側と見られる日本の企業がアルジェリアに事務所を置くということが、現地の過激派との関係でどういう意味を持つか、進出企業はそのリスクを考慮しなければいけない」

 「ペルーの事件の実行犯は、どちらかというと反帝国主義や民族主義を掲げた人たちだ。一方、アルジェリアは9・11以後のアルカイダ系とみられるグループ。実態はまったく違うが、共通するのは貧困だ。貧困や差別、排除は必ずテロの背景にある。もちろん、貧困だけでテロが起きるのではなく、別の事情もある」

 ペルーの事件では、1996年12月17日夜、天皇誕生日の祝宴中だった首都リマの日本大使公邸を、左翼ゲリラのトゥパク・アマル革命運動(MRTA)が襲撃、青木盛久駐ペルー大使や政府要人ら600人以上を人質に立てこもった。MRTAは服役中のメンバーの釈放などを要求したが、フジモリ大統領は拒否。人質は最終的に計72人となり、97年4月22日、軍特殊部隊が公邸下に掘ったトンネルを使って武力突入し人質71人を救出。ペルー人の人質1人と軍将校2人、MRTA14人全員が死亡した。

-人質となり、身の危険を感じませんでしたか。

 「当時、在ペルー大使館に政務担当書記官として勤務しており、私は実行犯がどのようなグループかは分かっていた。もう一つあったゲリラ組織のセンデロ・ルミノソと違って、彼らは基本的に無差別テロはしない。MRTAという腕章をつけていたので、まず殺されることはないだろうという安心感があった。身の危険を感じたのは、武力突入があった最終日だけだ。ただ、多くの日本人の人質は単にゲリラという認識で、何もかも悪い方向に考える傾向があった」

 「MRTAたちは最初の日は皆強(こわ)面(もて)な顔をしていたが、こちらが必要なことを頼むなどコミュニケーションを重ねていくと、彼らの人間味を感じてきた。我々に対して銃口を向けることはなかったし、口の利き方も乱暴ではなく、若い連中とはスペイン語で『お前』を意味する『トゥー』とフランクに呼び合うようになった。映画や小説の人質のイメージとは違うなと感じており、ほかの人質事件とはかなり質が違う」

-人質の身でMRTAと対話を続けたのはなぜですか。

 「公邸の中で、MRTAとペルー人の人質の両方と接したことが大きい。MRTAの若者はアマゾン川上流地域の貧困地帯の出身で、ペルー社会の中でもさげすまれている人たち。人質のほうは、少なくとも中産階級以上の人だ。そこには先住民の子孫と、征服者の子孫の関係が見えた。自分は日本で周囲が在日コリアンの人たちが多い地域で生まれ育ったこともあり、MRTA側に同情を感じた」

 「テロを認めることはできないが、今でも武力突入で決着したことに違和感がある。平和裏に解決ができたと思っている。MRTAは全員その場で殺害されたが、本来は裁判にかけられるべきで、ゲリラであっても人権は当然に尊重されるべき。教員になった今、学生には『紛争はどこでも起こりうるが、平和的解決を図ることが人間としてすべきことだ』と伝えているつもりだ」

 ペルーやアルジェリアの事件後も、テロは絶えない。16年7月にはバングラデシュの首都ダッカで飲食店に武装勢力が侵入し、日本人7人を含む22人が犠牲となった。

-現在の世界情勢をどう見ていますか。

 「いい方向に向かっている部分と、悪い方向に向かっている部分がある。いい方向としては、中東で巻き起こった民主化運動『アラブの春』や米国の反格差社会デモ『ウォール街を占拠せよ』など、会員制交流サイト(SNS)の普及が相まって、10数万人から数十万人規模の街頭活動がいつでも行えるようになった。何かを変えられるかもしれないという意識を持つ人が全世界的に出てきた。一方で、トランプ現象といったポピュリズムのようなものが出てきて、悪い方向へと世界情勢の足を引っ張っている」

 「テロの危険性は依然としてある。米国を中心としたグローバル権力に日本は乗っかっていると見られがちで、その意味で反日的なものは起こりやすいだろう」

-どう備えればいいでしょうか。

 「まず、日本がその国でどう見られているかを認識する必要がある。歴史をさかのぼれば、加害者として見られていることもある。また、例えばその国の経済振興につながる開発のために赴いても、開発はヨーロッパ的価値観に基づくもので、必ずしも全世界で受け入れられるわけではない。開発に協力しているからといって、味方に思われるとは限らない。アルカイダやイスラム過激派がどういう考え方をしているのかを知るのも重要だ」

 「100%の予防は難しいが、最善を尽くして80、90%の予防にする対応が求められる。実践的な訓練などあらゆる面での備えは必要で、歴史的な背景がある文明の衝突を前面に掲げる人たちがいる国に行く場合は、よほど注意をしたほうがいい。その一方で、人質事件が起きてしまえば犯人側と共存するしかなく、その国の文化や宗教をきちんと知っておくことが重要だ。相手を尊重していることが伝われば、犯人側との人間関係も変わってくる」

-日本の外交に求められるものは。

 「アジアの国として中国との関係を重視した上で対米従属から早く脱却し、米国との関係を是正すべき。先日も日本は核兵器禁止条約に署名しなかったが、それによって北朝鮮に核開発の放棄を求めるために国際社会の協力を要請する道徳的基盤を持てない状態にある」


 おぐら・ひでたか 1951年生まれ。86年外務省入省。中南米局、在キューバ大使館等に勤務。96年12月の在ペルー日本大使公邸占拠事件発生時に、同大使館1等書記官(政務担当)で、127日間身柄を拘束された。98年に外務省退職。国際基督教大学非常勤講師などを経て、2010年から現職。

 
 

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